夜の公園


川上弘美『夜の公園』は、ほんわかとした文章は相変わらずだけれど、内容的にはリアルで現実的な要素が入りこんできた。リリと幸夫の夫婦とその危機、悟と暁の兄弟、リリの女友達春名、幸夫の職場の仲間高木憲一郎などの人物を配し、リリの視点、幸夫、春名、暁と主な登場人物のそれぞれの眼から見るという形式(このスタイル自体は目新しいものではない)で、物語は語られる。


夜の公園

夜の公園


りりがある日、夫の幸夫をあまり好きでないことにこだわるところから、物語が始まる。夜の公園でマウンテンバイクに乗る暁との出会と関係により、幸夫との仲に齟齬が生じる。一方、友人の春名は、幸夫に好意を寄せている。リリの思惑とは別に、幸夫と春名が親密になって行く。春名は、暁の兄・悟とも関係を持つ高校教師という設定。


それぞれの語り手が、自分の置かれている場所に不安を感じている。なぜ、ここに居るのか、このような生き方をしているのか。あるいは、それぞれの相手を本当に愛しているのか。答えは全てが曖昧なまま、思いは交錯し、離反して行く。閉塞感だの、寂寥感だのといった常套句では表現できない不思議な感覚。


センセイの鞄 (文春文庫)

センセイの鞄 (文春文庫)


川上弘美さんが男女関係のあいまいさを見事な作品に昇華したのが、傑作『センセイの鞄』であった。現実のリアルさから抽象されたメタレベルで小説を書くという新しい感覚の持ち主。芥川賞受賞作『蛇を踏む』以来、『神様』や『溺レる』では、幻想的な「空気感」といわれる作風を貫いてきた。


蛇を踏む (文春文庫)

蛇を踏む (文春文庫)

神様 (中公文庫)

神様 (中公文庫)


現実的な妊娠や離婚が、川上弘美さんの世界で描かれることはなかった。しかしながら、『夜の公園』では、いわば世間一般の問題を作品に取り込み、主人公をはじめ登場人物たちに、「別離」の問題をつきつける。もちろん、作品の中でそれらの切迫した問題は、リアルそのままではなく、やはり「空気」が支配する気配のなかで「心の迷い」として提示されることになる。

溺レる (文春文庫)

溺レる (文春文庫)


『夜の公園』の根底にあるのは、男女関係と同じ比重で、リリと春名の女性同士の関係、また、春名が教える高校の生徒、杉田沙耶と矢野えりなの関係と重なりあう問題であり、惹かれながらも反発する同性の関係にも焦点を当てている。『夜の公園』によって、川上弘美は新たな世界を切り開いたと、捉えたい。