東京タワー


第3回本屋大賞受賞作のリリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)を読了した。リリー・フランキーの自伝。母親との濃密な関係。極言すればマザコン少年の、母親にたいする気持ちが綿々と綴られる。オカンとオトンのつかず離れずの関係が、ボクの生き方を規定する。


東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~


母親の病気から死に至る過程は、誰もが経験するであろうこと。私も3年前に母を亡くした経験がある。けれども、このようには書くことができない。いずれ訪れる母の死。誰もが避けれない母の死。「さればとて墓にフトンは着せられず」と大坂志郎が『東京物語』で、読経する本堂から抜け出して、心配した原節子につぶやく言葉。家族の崩壊や、母の死を淡々と映像で示す小津安二郎の世界とは、対極にある世界。『東京物語』(1953)では、上京した両親は、子供たちが予想したほど出世もしていなければ、良い暮らしでもない。老夫婦は、熱海に追いやれ、「まあそれでもええほうじゃよ」と笠智衆が、東山千栄子を慰めるシーンがある。すでに1950年代に、家族は崩壊していたのだ。『東京タワー』でも家族は崩壊しているが、家族の絆は最後まで強く結ばれている。


東京物語 [VHS]

東京物語 [VHS]


実際、泣かせる小説=自伝風作品になっていて、文章のリズムがいい。時々、作者の世間を見るシニカルな眼差しが伺える。『東京タワー』がベストセラーになっていることは、書店員にとっては周知の事実だ。本来、「本屋大賞」とは世間があまり注目していないけれど、書店としては是非売りたい、そんな趣旨のはずだった。だから、敢えて、書店員が本書を「本屋大賞」に投票する理由が分からない。


たしかに、本書のリリシズムは素晴らしいし、いまどきめずらしい母親思いの青年リリー・フランキーの切々たる思いが読者に伝わる。「母に捧げるバラード」であり、母へのオマージュになっている。特に前半部分の作者の、少年時代から上京して学生時代を送りなんとか仕事が軌道に乗って行くまでの描写には強く引きつけられる。


しかし、あまりに感情過多なところが、いま流行りのことばでいえば「ベタ」*1なところが、逆に鼻白む思いがしないこともない。決して、本書に文句をつけているわけではなく、家族については、小津作品にように、過剰な思い入れなく、突き放したような単調なリズムが、本当はその奥により深い問題を抱えているこを暗示している。すべてを書けばいいというものではない。そんな印象をいだく私自身が、斜めに構えていることは百も承知だ。


ナラタージュ

ナラタージュ


繰り返すが、『東京タワー』に本屋大賞は相応しくない。作品の良し悪しではなく、本屋大賞向きではないといいたいだけだ。個人的には、6位の島本理生の『ナラタージュ』(角川書店)に与えて欲しかった。これって、独断と偏見?


■第1回本屋大賞小川洋子博士が愛した数式』は、当然の受賞作。

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)


■第2回本屋大賞恩田陸夜のピクニック』も、受賞後に売れた作品。

夜のピクニック

夜のピクニック

*1:ここでは場合は、あまりに通俗的過ぎる、という程度の意味。