芸術人類学


芸術人類学

芸術人類学


中沢新一『芸術人類学』は、『カイエ・ソバージュ』シリーズの第五巻『対称性人類学』の続編ともいうべき内容の論集になっている。


対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5 (講談社選書メチエ)

対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5 (講談社選書メチエ)


冒頭に引用されるレヴィ=ストロース『みる きく よむ』(みすず書房,2005.12)から引用されている言葉が、その内容を象徴している。


みる きく よむ

みる きく よむ

どこでもいい、人間の歴史から任意の千年、あるいは二千年を取り去っても、人間の本性に関する私たちの知識は減りもせず増えもせず、唯一失われるものがあるとすれば、それはこれからの千年、二千年が生み出した芸術作品だけである。なぜなら、彼らが生み出した作品によってのみ、人間というものは互いに異なっており、さらには存在さえしているのだから。(p.203)


中沢氏が主張する「芸術人類学」とは、レヴィ=ストロースチベット仏教−縄文考古学−旧石器考古学−バタイユが、ひとつにつながりで巨大な環となって行く新たな総合的学問分野である。本書に収録されている論考や講演記録などが、「芸術人類学」という人文諸科学の再構築を目指すものであることが、個別論文に提示されている。


僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)


本書の最後に置かれた「友愛の歴史学のために」は、中沢氏の叔父さんにあたる網野善彦歴史学、『無縁・公界・楽』に触れており、次のように結ばれている。

無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)

無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)

近代を生み出したこうした諸テーマのすべてが、「人間的自由」の実現の試みとその致命的な挫折と深く関わっています。資本主義の発生は「人間的自由」の可能性を宿した人類の脳の構造の必然であるのに、なぜそこに現実となっている「自由」は、こうも不公平ばかり生むのか。/『無縁・公界・楽』という研究をとおして網野善彦が押し開こうとしたのは、私たちが直面しているこういう問題に、真っ正面から立ち向かっていくことのできる「自由の歴史学」の可能性だったのではないでしょうか。(p.374)


また、本書の中ほどに収められている「神と幻覚」は、宗教的な法悦や快楽や苦痛は、人間の原初的な営みから求められていたものであり、「人間の秘密」に迫る論考である。つまり、「芸術人類学」が学問として端緒の位置にあることが、それぞれの論文や講演で言及されている。いわば、過渡期にある中沢氏の「芸術人類学」にいたる過程にあるといえよう。集大成された『対称性=芸術人類学』に結実することを期待したいものだ。


アースダイバー

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