博士の愛した数式


小川洋子の第一回本屋大賞受賞作『博士の愛した数式』の映画化。物語は成長した少年ルート(吉岡秀隆)が、数学の授業を始めるシーンから入る。なぜ、自分が「ルート」と呼ばれるようになったのか。数学の教師になった経緯を生徒を前に語り始める。


10歳の少年時代に、家政婦をしていた母に伴われて博士に出会った。母親・深津絵里が自転車で軽快に職場に向かう光景がいい。


交通事故の後遺症で80分しか記憶が続かない博士・寺尾聰、その博士の家に家政婦として派遣された深津絵里と、10歳の息子ルートの三人が、奇矯な性癖を持つ博士と交わす愛情あふれる原作の寓話性が、映画化によって見事なリアリズム作品になっている。


深津絵里の靴のサイズは24cm、自然数を1から4まで加えた数字=「階乗」。阪神江夏豊の背番号は、28=「完全数」。家政婦の誕生日が2月20日、つまり220。博士が大学の卒業式で貰った時計の裏に刻まれた番号が284。220と284は「友愛数」。素数虚数、そして「オイラーの公式」の説明に至り、あたかも数学の歴史授業の様相を帯びてくる。


博士の愛した数式 (新潮文庫)

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原作では、博士は、世俗から離れた「純粋」を象徴し、18歳で妊娠し相手に捨てられた女性が子供を抱えて、家政婦として働くことが、女性の「自立」とそれに伴うハンディを背負うことを意味し、息子は博士に父性を求めるという図式になっている、と読める。博士は、優秀な数学者であったが、1975年に、義姉と乗っていた乗用車が交通事故に遭い、博士は障害を受け約束されていた大学教師を辞し、義姉・浅丘ルリ子が義弟の面倒をみている。


浅丘ルリ子が、家政婦として派遣された深津絵里に、仕事について説明するシーンがあり、このあたり、原作のイメージではやや背景にあったものが、浅丘ルリ子という存在感ある女優が演じることで、博士と義姉の反世間的な愛が濃密化され、リアル化されている。


薪能を鑑賞するシーンは、二人の只ならぬ関係を鮮明化させている。二人の眼は舞台に注がれているが、静かに義姉の膝に置かれた手に博士の手が重なる。義姉はその手をしっかりと握り占める。


最初は、博士の異様な数字へのこだわりに困惑しながらも、次第に博士の純粋な精神に惹かれてゆく深津絵里。こども「ルート」を愛する博士との擬似3人家族のような雰囲気を呈して行く。博士は家政婦が料理をしている姿を見て、「君が料理を作っている姿が好きなんだ」と言う。至福の時間だ。もちろん、このような状態は長くは続かない。


原作=映画では「数学」がおきな比重を占めている。阪神ターガースへのこだわりも尋常ではない。これらすべてを含めて、いとおしくかつ美しい作品になっている。映画は、原作のよさを生かしながら、子ども=ルートの眼から、原作全体が回想されるという入れ子方式になっており、この構成が成功している。


吉岡秀隆が、淡々と語るその語り口から博士と母と自分が過ごした至福ともいえる時間があった。数学の授業がオイラーの公式を説明するくだりで思わず涙がこぼれそうになった。


美しいフィルムだ。観終わって、爽やかさと一種の悲哀を同時に余韻として持つ体験など、最近の映画では稀有のことだ。

『博士の愛した数式』公式ホームページ



小泉堯史の監督作品

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博士の愛した数式』は、小泉堯史寺尾聰のコンビ三部作となる。それぞれが主人公といってもいい博士・寺尾聰、家政婦・深津絵里、数学教師ルート・吉岡秀隆の三人による三角形の構図が、安定したイメージを提供している。


小川洋子の作品としては『ブラフマンの埋葬』も寓話的・幻想的でいい。この小説の映画化は難しいだろう。

ブラフマンの埋葬

ブラフマンの埋葬


■補記(2006年1月24日)

博士の愛した数式』は、拝金主義や「勝ち組」指向とは、およそ無縁の、きわめて倫理度が高いフィルムである。この映画で描かれる数学とは現実を抽象化した理想であり、世俗的な価値観、換言すれば、この一週間のホリエモン事件に象徴される世界とは無縁の、ルート内部にある「心」の価値を称揚する美の世界にほかならない。文字どおり心が洗われるフィルムであり、何度も繰り返すが、実に実に、美しい映画だ。