エリザベスタウン


キャメロン・クロウには、ビリー・ワイルダーから聞き書きした『ワイルダーならどうする?』(キネマ旬報社、2001)があり、映画監督が前世代の監督に話を聴くスタイルとしては、フランソワ・トリュフォーヒッチコックを相手に作品毎の手法やセオリーを聴いた画期的な『映画術』(晶文社、1990)に匹敵する素晴らしい映画本だ。


ワイルダーならどうする?―ビリー・ワイルダーとキャメロン・クロウの対話

ワイルダーならどうする?―ビリー・ワイルダーとキャメロン・クロウの対話


「気のきいたエンディングは用意してあるのかね」とワイルダーは、クロウに尋ねる。また、「ナレーションは、観客の目にしていることを語ってはいけない。新しい何かを語ること。」このワイルダーのことばを、忠実に再現しているのが、キャメロン・クロウの映画だ。


ザ・エージェント』(1996)や『あの頃ペニー・レインと』(2000)の出来から観ても、『エリザベスタウン』は期待を裏切らない素敵なフィルムだった。

スニーカーデザイナーのドリュー(オーランド・ブルーム)は、手がけた最新モデルが大失敗に終わり、10億円の損害を会社に与えてしまう。ヘリコプターで社長に呼び出されたドリューは、すっかり中年体型になった社長アレック・ボールドウィンから、冗談半分のようなオチまでつけてくびになる。自殺を考えていたドリューのもとに、突然父の訃報が届く。母スーザン・サランドンは、混乱状態になっているので、まずは、ドリューが故郷のエリザベスタウンへ向かう。


乗った飛行機には、乗客はドリューひとり。フライトアテンダントのクレア(キルスティン・ダンスト)は、落ち込んでいるドリューに対して、あれこれと世話をする。偶然の二人の出会いが、物語のすべてであることが、次第にわかってくる。


父親は、エリザベスタウンでは大の人気者。小さな田舎町なので誰もが父親の葬儀を知っている。思わぬ過剰な歓迎ぶりにいささか辟易してしまうドリュー。それでも、同じホテルでは、結婚式を控えたカップルと、かれらの友人たちが馬鹿さわぎをしている。一人になったドリューは、元恋人や、家族や、飛行機で出会ったクレアに電話をかけまくる。ついにクレアとは延々、一晩中電話で話し合うことになり、二人で夜明けの光景を見ることになる。このシークェンスがいい。落ち込んでいたドリューの心がたちまちほぐれて行く過程と重なる。


父親の葬儀パーティは、友人・知人・親族のおくやみのスピーチが続き、遅れてきた母親スーザン・サランドンは、舞台の上で、ワンマンショー。唄い踊るスーザン・サランドンは、存在感抜群。


葬儀も終わり、エリザベスタウンを離れる日、クレアは地図をプレゼントする。場所と合致したCDの選曲や、ドリューがデザインしたシューズの大失敗が週刊誌に掲載される日には、悲しみに同化することを勧める音楽。そして、クレアに導かれてとある場所へ赴く。


クレアを演じるキルスティン・ダンストは、決して美人ではないけれど、素敵な笑顔とポジティヴな性格は、ほとんど等身大の女性そのもの。『ヴァージン・スーサイズ』(1999)『チアーズ』(2000)『モナリザ・スマイル』(2003)『ウィンブルドン』(2004)と、一作ごとに成長していることを十分感じさせる。

ドリュー役のオーランド・ブルームは、文句なしの好青年。『ロード・オブ・ザ・リング』(2002、2003)、『キングダム・オブ・ヘヴン』(2005)と、コスチュームプレイがすっかり板についた精悍な男性が、繊細な現代青年を演じる、人生のどん底から回復するすがすがしい表情は、オーランド・ブルームに相応しい。


映画を観ることの歓び。「気のきいたエンディング」は用意されていた。映画の中では、『ローマの休日』が引用される。ビリー・ワイルダーから多大な影響を受けたキャメロン・クロウの見事な脚本・監督ぶりは、絶賛に値する。小品ながらも、映画がいかに面白いか、その原点が示される。良い映画を観た日は、気分も良い。


『エリザベスタウン』の公式サイト