蝉しぐれ
文四郎(市川染五郎)と小和田逸平(ふかわりょう)が、おふく(木村佳乃)を救うため、決死の覚悟で、楓御殿に向かい、そこで刺客と真剣で闘うシーンがある。あるだけの刀を畳に突き刺し、刀を変えながら刺客たちと、真剣を交えるシーンが迫力ある。はじめて人を切ることで、腰がくだけて座り込む。たしかに、命を賭けた決闘シーンを、如何に演出するかに時代劇の醍醐味がある。黒澤明の演出を彷彿させるが、気迫・凄絶さの点では、二番煎じと言わざるを得ない。それでも、黒土三男『蝉しぐれ』は、よく健闘しているし、良質の映画に仕上がっている。
藤沢周平の原作では、海坂藩として描かれる東北の少藩。つつまししく暮らす下級武士や庶民の世界が、気品高い人物として造型されている。とりわけ、『蝉しぐれ』は、海坂藩ものの最高傑作と評価が高い。その分、映画化には困難を伴う。原作と映画化された作品は別ものだ。
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ここでは、あくまで、黒土三男の作品として観るべきもの。既に、藤沢作品は、山田洋次によって、『たそがれ清兵衛』と『隠し剣 鬼の爪』の二本が撮られているので、どうしても藤沢ワールドとして比較して観てしまうのはやむを得ない。貧しさのリアルさでは、山田洋次の時代劇では、真田広之や永瀬正敏の月代(さかやき)に表れている。その点では、市川染五郎の衣服はこざっぱりしすぎている。
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むしろ、少年時代を演じる石田卓也と佐津川愛美の二人が、文四郎とふくのイメージに合っている。ふくの清楚で凛とした雰囲気、文四郎のつつましさと真剣な生き方。おそらく、今日の若者から視れば、まさしく時代錯誤ということなのだろうが、貧乏でも生き生きした生活は、豊かでも心貧しい現代人とは、比較してみても意味などあるまい。そんな時代が、昭和でいえば30年代、高度成長期以前の日本は、誰もが貧しかったのだ。
ふくが文四郎に「文四郎さんのお子が私の子で、私の子どもが文四郎さんのお子であるような道はなかったのでしょうか」という言葉は、想いのたけを打ち明けた究極の「愛の告白」であろう。別離。二人は、所詮、結ばれる運命ではなかった。だからこそ、切ないのだ。二人を結びつけるのは川であり、舟である。
良い原作が、良い映画となるとは限らない。監督の意図は読みつつも、作品は、あまりも予定調和の凡庸な世界になってしまっていることを惜しむ。切り通しの坂道をどう描くか、映画とは難しい。坂道を父の遺骸を乗せた大八車を引く文四郎とふくをどう見せるか。ここが別れ道だった気がする。
これは、記すべきではないかも知れないが、市川染五郎の文四郎はミスキャストというほかない。歌舞伎役者が演じることで、せりふの上手さや時代劇としての立ち居振る舞いが、はまり過ぎている。『阿修羅城の瞳』のようなケレン味を帯びた役こそ、市川染五郎に相応しい。
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