脳と仮想


このところ、読書が進まない。理由は単に仕事が忙しいだけなのだが、その割には「映画」はコンスタントに観ている。第4回小林秀雄賞・受賞の茂木健一郎『脳と仮想』が気になっていた。とりあえず読みはじめたら、止められない。読了感として、名状しがたい衝撃を受けたことをまず率直に告白しておきたい。


脳と仮想

脳と仮想


『脳と仮想』の冒頭は、小林秀雄の講演から始まる。小林秀雄が、人生をとおして考えていたこととは何であったかと、ここでは問いかけている。茂木健一郎によれば、「クオリア」(質感)であるという。

小林秀雄が向かいあい、その消息を伝えた、そして私たち一人一人も日々遭遇している様々なクオリアに満ちた主観的体感は、全て、この頭蓋骨に囲まれた脳という一リットルの空間の中の物質的過程に伴って起こる。私たちが心の中で感じることの全てが脳内現象であること自体は、疑う余地がないのである。(p.27)


養老孟司が『唯脳論*1から『身体の文学史』へ進んだのとは対称的に、茂木健一郎は、あくまで「心脳」にかかわり、小林秀雄から樋口一葉たけくらべ』の正太郎、美登利、真如の心の中の想いや、漱石『それから』の代助の思惟と感覚などに言及して行く。


唯脳論 (ちくま学芸文庫)

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

身体の文学史 (新潮文庫)

身体の文学史 (新潮文庫)


キーワードは、「クオリア」「志向性」「生成」。
「生成」について茂木氏は次のように述べる。

現代の私たちもまた、その中に連なる、人類の仮想の系譜を、すでにできあがってしまった、紙の上に書かれてしまった、固定された情報としてとらえるのではなく、その系譜の中の一つ一つの生成のイベントにおいて、その誕生の瞬間において、とらえる必要があるのではないか。歴史を振り返る時に私たちに問われているのは、何よりも生成というものに対する態度なのではないか。私には、そう思えるのである。(p.187)


カントの「物自体」は認識できないということばを援用しながら、近代科学が疎外してきた「心脳問題」について、茂木氏は、ことばにならない、あるいは表現しきれない質感を「クオリア」なることばで、解明を試みてきた、そのまとめが本書である。


近代科学が物質至上主義でたどりついた情報社会についての次の言説は傾聴に値する。

IT(情報技術)が全ての情報を顕在化しつつあるように見える今日において、仮想というものの成り立ちについて真摯に考えることは、重大な意味を持つのではないか。目に見えないものの存在を見据え、生命力を吹き込む続けることは、それこそ人間の魂の生死にかかわることではないか。
・・・(中略)・・・
インターネットの上にデジタル・データとして顕在化した情報など、人間の精神が向き合っている仮想の広がりの、極く一部分に過ぎない。(p.221)


9月7日に拙ブログで触れた「書物の電子化」にかかわる問題だ。情報としてのWeb上のデジタル・データから、「仮想」を読み取るのは読者である。仮想の中のごく一部だとしても、存在価値はあるだろう。しかしながら、電子化とは目的ではなく、単なる手段にほかならない。本来アナログ派だから、電子書籍はやむを得ないときに利用すればよい。例えば絶版本の『東洋文庫』などのように。けれども、根底に「仮想」という概念が存在すると指摘されてしまうと、科学の進歩からの強制的な「幻想」をもつ必要はない。


本書を読みながら、一種の興奮状態に陥っていた。「仮想」ということばで現わされる世界。科学万能の世界のなかで、誰もがぼんやりと感じていた異和感を、これほど見事に、鮮やかに、解りやすく、なおかつ説得的に書かれた書物との出会いは、久しくなかった。脳について養老孟司唯脳論』を読んだときの衝撃を上回ることは確かだ。本書によって、心が救われる人が多いことを想像してしまう。


「私の仮想」は「他者の仮想」と断絶している。これはまさしくラカンのいう「シニフィアン*2との連携が可能であると示唆しているように読める。茂木健一郎とは、何とも凄い著者であり、恐るべき書物の出現だ。私にとってこの一冊は、10年に一度の収穫(大げさではなく)だった。


■追記(2005年9月13日)

島田雅彦が本の帯に、「文学的、あまりに文学的な脳科学者!」「彼は偉い、自分の脳を仮想で満たせば、退屈しなくて済む。ありがたい。」と絶賛している。たしかに、文学・映画好きには、「仮想」なる概念は素晴らしく、小林秀雄、一葉、漱石柳田國男の『遠野物語』などからの引用や、キアロスタミ小津安二郎東京物語』への言及など、凡庸な文芸評論をはるかに凌駕しているからこそ、まぎれもなく刺激的な本なのだ。「10年に一冊の本」とは、決して過褒ではない。


幸いにも、ちくま新書で『「脳」整理法』が、タイミングよく出版されている。

「脳」整理法 (ちくま新書)

「脳」整理法 (ちくま新書)

*1:養老孟司の『唯脳論』の衝撃も大きかったが、なぜか醒めてしまう。一方の、茂木健一郎『脳と仮想』は、人を熱くさせる。

*2:通常、「仮想」からいえば、「シニフィアン/シニフィエ」に該当しないのだろう。しかし、ここは、ラカンにおける「シニフィアンの病」として個人的には興味深いのだ。