大航海


id:tatar氏が言及している『大航海No.55』(新書館、2005)は、「以心伝心」というべきか私も目次を眺めていたところだった。論客25人の選択に疑問を抱いたので、生年を調べてみた。現役が前提であるらしいが、25人の根拠が分からない。

No.55 特集 現代日本思想地図

東浩紀(1971- ) 人間はいかに人間たりうるか 平田和久
小熊英二(1962-) 近代日本の空間認識と「アジア」の相克 丸川哲史
斎藤環(1961-) 若者文化の精神分析 鵜飼大介
福田和也(1960-) 保守派論客のもう一つの相貌 藤本龍児
斎藤孝(1960-) 身体文化と近代性 兵藤裕己
宮台真司(1959-) 生におけるリベラリズム 仲正昌樹
大澤真幸(1958-) 理想と現実の対立の向こうへ 北田暁大
大塚英志(1958-) 現代思想会最強の「いちびりスト」 荷宮和子
浅田彰(1957-) 「知」への切断と介入 安藤礼二
金子勝(1952-) ネオ・ポランニアンがポランニーを超える可能性は? 山下範久
村上春樹(1949-)/村上龍(1952−) W村上の問題圏 加藤弘一
中沢新一(1950-) 地上に一つの「場所」を 安藤礼二
姜尚中(1950-) 「共同の家」までの道程 黒宮一太
佐伯啓思(1949-) 「社会科学」の欺瞞と陥穽を超えて 佐藤一進
鷲田清一(1949-) アクチュアリティと向き合う哲学者 成美弘至
上野千鶴子(1948-) 時代を作ったフェミニズムの騎手 千田有紀
加藤典洋(1948-) 追悼のナショナリズム 仲正昌樹
岩井克人(1947-) 人類学化する資本主義論 山下範久
藤森照信(1946-) 建築の知的レミニセンス 山下想太郎
柄谷行人(1941-) 「意味」に憑かれて 安藤礼二
宮崎駿(1941-) 「出来のいい娯楽作品」の根底にあるもの 荷宮和子
西部邁(1939-) 保守思想の存在理由 佐藤一進
荒川修作(1936-) 実践的夢想家がめざす可能な未来 渡部桃子
西尾幹二(1935-) アイロニーナショナリズム 仲正昌樹


まず、現代思想家として欠落しているひとは、内田樹(1950-)、高橋哲哉(1956-)、高橋源一郎(1951-)の三人。吉本隆明(1924-)は思想家としては、圏外に去ったといえるだろう。しかし、世代的には、西尾幹二と同世代である蓮實重彦(1936-)はどうしたのだろうか。現役が前提であれば、知の巨人として最後のリベラリストである加藤周一(1919-)が思想家として入るであろう。


柄谷行人中沢新一浅田彰は、1980年代のニューアカデミズムの旗手だった。ただ、浅田氏は『構造と力』以後、まともな著書がない。ほとんどが対談集であり、頭の良さは分かるけれど、時代を牽引する思想家といえるかどうか。柄谷行人中沢新一の二人の業績に較べればすぐに分かることだ。浅田彰は、自著『構造と力』を超えていない。


一方、なぜ、この人が、というのが斎藤孝。文筆家なら分かるが、思想家ではない。『声に出して読みたい日本語』の、「朗読」の発見は評価されていいが、「朗読」や「作文」は現代思想なのだろうか。ここでは、斎藤氏の「身体文化」をとりあげているが。


それにしても、このラインアップを見て、日本の現代思想とは、何を基準にしているのだろうかという問いは依然として残される。いわゆる「論壇人」。女性が、上野千鶴子一人というのも如何なものであろうか。


安藤礼二による柄谷行人中沢新一浅田彰の解説に異論はないけれど、仲正昌樹も、宮台真司加藤典洋西尾幹二の三人の解説を受け持っている。『「不自由」論』(ちくま新書)の著者。仲正昌樹がなぜ西尾幹二をとりあげたのか。ドイツ文学者であり、ニーチェ学者であった西尾幹二のまじめな「新しい歴史教科書を作る会」への参加は、アイロニーを喪失した自己矛盾に陥っている、その読みは同化ではなく、異化であり、納得した。


仲正昌樹による「宮台真司論」も注目に値する。宮台の「転向」の行方が心配だ。仲正氏は、宮台真司との対談本も出しているので、「システム理論」との関係で、「共同体」論をどう収束するのか、興味深くみている。「彼はいろんな意味で日本の知識人の矛盾を凝縮して生きている『ギャップ』の人」という仲正昌樹の規定は説得的である。宮台真司の行方が、ある意味で、今後の知識人の在り方の「メルクマール」となるであろうから。


「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 (ちくま新書)

「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 (ちくま新書)

日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界

日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界