阿修羅城の瞳


はっきり言って、この種の映画としてはあまり期待していなかった。ところが、映画が始まるや否や、ぐいぐいこのケレン味たっぷりの虚構にのめり込んでいた。市川染五郎の軽みを帯びながらも歌舞伎の演技を堂々と見せてくれる楽しみ。華奢な宮沢りえが、恋することで「阿修羅」になる宿命を帯びた女性としての色気。歌舞伎と映画が一体となり、アクションシーンのキャメラワークも素晴らしく、凄い映画ができたと驚いてしまった。


滝田洋二郎監督『阿修羅城の瞳』は、娯楽時代劇として歌舞伎を巧みに取り込んだ傑作とみた。文化文政時代の江戸という「現し世」に出現する鬼たちが跳梁跋扈する。鬼退治を目的とする「鬼御門」の内藤剛志渡部篤郎市川染五郎、対する鬼軍団を指揮するのが樋口可南子


五年後、染五郎は歌舞伎役者として鶴屋南北小日向文世)の舞台にたっている。中村座(金毘羅座でロケ)での演目は『天竺徳兵衛』、蝦蟇蛙の上で見得をきる。寄り眼の表情のクロースアップは映画ならではの見せ場。


江戸の街には「闇のつばき」たちが、昼間は渡り巫女、夜は強盗として屋根の上をワイヤーアクションによって飛ぶように走る。そのなかの美女つばき・宮沢りえがいる。宮沢りえは五年以前の記憶がない。一方は、五年前「鬼御門」の配下であった記憶を消したい染五郎


染五郎と宮沢りえは、船と橋下での出会いがあり、そして、中村座での『東海道四谷怪談』練習風景となり、鶴屋南北が自作の演出をしている趣向。「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」(崇徳院)の歌が、のちの二人の行方を暗示している。落語の外題にもなっている『崇徳院』を、こんな形で使う手があったか。


「阿修羅の城浮かぶとき、現し世は魔界と化す・・・」、宮沢りえ染五郎と恋に落ちると阿修羅と化す。この二人の五年前の記憶の有無によって「さかしま」の世界で結ばれる。なんとも不可思議にして奇妙にリアルな世界が展開される。


染五郎が逆さとなった阿修羅城に乗り込み、鬼たちとの殺陣シーンは、キャメラが逆さになったり、役者の動きに沿って自在に大移動する。阿修羅王となった宮沢りえ染五郎の<恋の成就>は、二人の決闘に集約されるという荒唐無稽の極みも、ここまで徹底されると一種の爽やかさを感じる。


阿修羅城の瞳』は、ケレン味を極限まで突き詰めるた傑作となり得た、主題から重くなりかねない物語を軽妙なタッチで仕上げている素晴らしいフィルムだ。


この映画を外枠から視ているのが、鶴屋南北という戯作者。この設定によって、映画がトータルとして虚構化し、相対化されている。近年まれにみる極上のエンターテインメントだ。嬉しい期待はずれで、観終わった後しばらくは、余韻のなかにうつろな気分がただよっていた。大満足!


滝田洋二郎監督は、同じ時代劇として『壬生義士伝』とは、まったく別格の超時代劇を創り上げた。見事である。市川染五郎宮沢りえの二人の艶っぽい演技に支えられたことが大きいとしても。渡部篤郎の嬉々とした怪演、樋口可南子の妖艶さ、飄々とした小日向文世、脇役たちもいい。


『阿修羅城の瞳』の公式ホームページ


エンディング・ロールに「My Funny Valentaine」が流れ、映画と歌舞伎とジャズが融合した陶酔にひたることができる。


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