コンスタンティン


キアヌ・リーブスの「次のマトリックス映画」というキャッチ・コピーに惹かれて『コンスタンティン』(フランシス・ローレンス監督、2005)を観た。ところが、この映画は、極言すればクリスチャン、それもカトリック教徒のための宗教映画だった。


少なくとも『マトリックス』には、現実と超現実に関する哲学があったけれど、『コンスタンティン』は、キリスト教的な地獄と天国、とりわけ地獄の描写が詳細で恐怖心を喚起させ、カトリック教徒の「自殺」への戒めと、悪魔からの誘惑に注意を喚起する映画になっており、『マトリックス』の深遠な形而上学とは何の関係もないものだった。

(中略)

映画の見方は百人百様であり、『コンスタンティン』は、ゲーム好きの人がゲームとして楽しめばいい映画だ。地獄に関心がある人には、ダンテの『神曲』よりもリアルなエイリアンが住む地獄を見ることができる。それ以上でも以下でもない。映画が古典あるいは名作になるかどうかは、歴史的評価を待つしかない。

(以下略)


ネタバレ紹介。ジョン・コンスタンティンをイニシャルで書けば、J・C。つまり、Jesus Christ 。樺沢紫苑氏の解釈は次のとおりで、参考になる。

ラストのクライマックスのシーン。ルシファーが、コンスタンティンを引っ張って地獄に連れて行こうとします。しかし、重くて引きずれない。そして、コンスタンティンは蘇ります。手を左右に広げた感じで、十字に近いポーズをとっています。後光もさしていた気がします。彼の肺癌はルシファーが取り出してしまい、コンスタンティンは復活を果たします。「復活」と十字のポーズが、救世主イメージの重要な証拠です。
・・・(中略)・・・
クレジットの後の一番最後のカット。まさか、ここまで見ないで劇場を出た人はいませんよね。タバコを止めてガムを噛むコンスタンティン。単なる笑いのためのシーンではありません。「悔い改め」です。「悔い改め」は、キリスト教において、とても重要とされます。一応彼も悔い改めたのだから、許してあげましょう、というキリスト教的精神に基づくオチである、と私は理解しました。(MM『映画の精神医学』73号より引用)