ウェブログの心理学


イムリーな著書『ウェブログの心理学』(NTT出版)が刊行された。
早速、一読。著者は、山下清美/川浦康至/川上善郎/三浦麻子・四人の共著。


ウェブログの心理学

ウェブログの心理学


本の帯に「社会心理学から分析する/ネット・コミュニケーションの最新形/なぜブログは書かれ、読まれるのか?」と記されている。内容は、堅苦しいものではなく非常に読みやすい。インターネットの歴史が俯瞰できるし、ブログの現在位置の確認ができる点で、他の「ブログ」本とは一線を画している。情報関係本として、評価したい。
以下は極私的感想。


ブログは、この2〜3年に爆発的な人気を博している。でも、日記形式のウェブ日記は、インターネットWWWの登場とWindows95・IEの発売によって個人ウェブサイトとして始められていた。個人のホームページの開設と同時に、更新が日記のスタイルをとって定着していた。本書の著者たちは、10年間にわたり、「ウェブ日記」を継続されている。つまり、この10年間という長いようで短いWWWの歴史と、ウェブ日記は重なるのである。


ウェブ日記ウェブログが分析されるが、要は「継続」することで実名であろうと匿名であろうと、個人が蓄積した履歴は一種の知的財産となり得る。たしかに、一時期よりも、個人のホームページの価値は逓減しているが、ウェブ日記ウェブログの存在価値は十分にある。

ウェブログは、持続性のある個人としての存在を記録する場である。同じ名前でサイトに積み重ねていく行為は、その人の人となりや人としての存在感を生みだす。じつは、ウェブログのもつ情報の根本は、この継続性にあるといってよいだろう。もちろん、実名で書かれるウェブログが、その人の社会的な立場や実績によって信頼性を得ることも確かだが、それは実名だからというだけではなく、人の存在の継続性にあると考えることができる。
したがって、ウェブログにとって必要なのは、継続する名前とそれに伴う存在感である、ということができるだろう。継続性がありさえすれば、仮名で十分なのである。(p143−144)


ウェブ日記ウェブログの心理学的分析は、予想された範囲内のもので、あくまでネット社会の過渡期にある現象にすぎない。しかし、ウェブログの「継続性」という著者の考えには賛同したい。

ウェブログの書き手がどのような読み手を想定しているか、という点はウェブログの今後のあり方を考えるうえで重要だ。ウェブログの書き手を見ていると、想定する読み手の対象として、大きく二つの方向性に分かれるように思われる。ひとつは、友人や家族、仕事の同僚など、実生活で接点のある人々を主な読み手として想定しているケースで、もうひとつが、実生活で接点のない人々を読み手として想定しているケースである。(p147)


そうかも知れない。しかし、私は二つのいずれでもない。私自身のブログは、日記替わりの「覚書」程度のものである。人は書き残さないと忘れるからだ。そのとき考えていたこと、本を読んだときの感想めいたものや、映画の感想などを書いておくことで記録、即ち、私自身のアーカイヴとなるからだ。これは、昨年ブログを手探りで書きはじめてから、次第に気づいたことでもある。


統計的分析というものは、ある種の傾向を示しはするが、必ずしも個人の「心理」を現しているとは限らない。個人の「心理」は「無意識」とともに、個人でも理解しているかどうか分からない。書くことで、自己確認ができるのだ。しかし、注意しなければならないのは、言葉とは「他者」のものでもあるからだ。自分の考えを述べているようでも他者のことばで語っている場合があり得る。個人固有のことばというものはない。文脈があってはじめて、個人固有の表現になっているのだ。


本書の附録、「ウェブログの歩き方」と「インターネット・ウェブログ関連年表」が面白く有用であり、参考になる。
なお、『ウェブログの心理学』という本書のポータルサイがあることを紹介しておきたい。