イッツ・オンリー・トーク

イッツ・オンリー・トーク

イッツ・オンリー・トーク


絲山秋子の第一作にして、文學界新人賞受賞作・第129回芥川賞候補作。
『イッツ・オンリー・トーク』には、絲山秋子の作家的資質がすべて詰まっている。


病院を退院したらしい「私(橘優子)」は、蒲田へ引っ越してくるシーンから小説は始まる。引越しの日に男に振られた「私」は、早速、同級生に出会う。区会議員候補の本間。


蒲田で出会う男たちは、EDの本間、工業デザイナーの通称・痴漢k、いとこで元ひもの林洋一、うつ病のやくざ安田など、普通とはいい難い人たち。彼らとの出会いや会話にとりたてて、何かを意味するものは見られない。「私」は画家のようだが、特に、どんな絵を描いているのかよく分からない。


「私」は躁鬱病であったようで、薬の名前が羅列される。(p52)


「私」がもっとも気になっているのは、26歳で死んだ野原理香のこと。命日には、愛車のイプシロンで、多摩墓地で出かける。

直感で蒲田に住むことにした。(p7)
・・・(中略)・・・
取り戻せるものなどなにもない。死者は答えない。
私は振り返らずに車に戻る。エンジンをかける。今日もクリムゾンだ。
ロバート・フリップがつべこべとギターを弾き、イッツ・オンリー・トーク、全てはムダ話だとエイドリアン・ブリューが歌う。(p96)


冒頭の文章と、ラストを引用してみた。
絲山秋子は、この作品で、何を語っているのだろうか。普通は、蒲田で出会った人たちとの交流のように見える。でも、ラストで、友人理香の死と直面する。


「取り戻せるものなどなにもない」と。喪失したこととは何かが、語られていない。語られていないこととは何か。理香との過去は、一箇所回想されている。

あやうく理香の命日を忘れるところだった。彼女だけは私に説教した。大学を出てからもよく会っていた。二人とも若くて何も社会のことなんかわからなかったけれども彼女だけが、私の独走を阻んだ。今から思うと躁っぽい時だったのかもしれない。上司のことを、サラリーマンのことを、主婦のことを、そして政治家のことを無闇に罵倒していると彼女はいった。・・・(中略)・・・
私は理香が死んでから食が進まなくなった。それで梨ばかり食べていた。このざらりという食感が生きているということなのかと思った。(p66)


「私」の唯一の理解者は、理香だった。彼女は、なぜ死んだのか書かれていない。しかし、この作品は、その理香に向かって、書かれているように思われる。「私」は、病気になることで何かを喪失した。何かとは、友人であったり、総合職といういわば、キャリアウーマンのエリートコースから逸脱することであった。しかしながら、彼女にとって、それらは、喪失すべくして喪失したに過ぎない。けれども、理香の喪失は「私」には大きいことだった。
作品に書かないほど大きい何かだった。理香という「他者」=「死者」。


『イッツ・オンリー・トーク』には、蒲田で出会った男たちのことが綴られている。と同時に、そこにおける<関係>とは、きわめて希薄なものであり、ムダ話程度の内容だった。だた、理香という友人についての喪失感の深さは伝わってくる。


「私」の「孤独」。
「孤独」ということばが、絲山秋子の語らないことの裏返しだと思われる。そして、「孤独」は、その後の作品を覆う象徴的なことばになる。いつから「孤独」が意識されたのだろうか。小説を書くことで、「孤独」を発見したといえるのではないだろうか。


出版された三冊から抽出されることばはもちろん「孤独」。それは名状しがたい<関係の希薄さ>といってもいいだろう。言い換えれば、<関係の絶対性>。<関係の希薄さ>が「孤独」と共振している作品が、絲山秋子の小説と、とりあえず言っておこう。
新作が待ち遠しい稀有な作家・存在である。



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