評論家入門
評論家入門―清貧でもいいから物書きになりたい人に (平凡社新書)
- 作者: 小谷野敦
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2004/11/01
- メディア: 新書
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小谷野敦『評論家入門 清貧でもいいから物書きになりたい人に』(平凡社新書)を読む。
「小説入門」とか「文章読本」の類の本は、数多く出版されている。しかし、評論家の入門書はおそらく本書がはじめてではないだろうか。
小谷野敦は、『もてない男』(ちくま新書)で、ベストセラー作家として世間的に認められた。その小谷野敦が、自らの経験に基づいて評論家の実態について述べ、一般読者にエッセイストになることを勧めている。
学者分類の試みが面白い。
A:文句なしに偉大な学者
白川静、宮崎市定、中村幸彦、廣松渉
B:ちょっと怪しいけれど、まあ偉い学者
C:マスコミ的には無名だが、堅実な研究論文を着実に書いている学者
谷沢永一
D:「評論家」として優れていて、マスコミ的にも有名だが、学者としてどうかというと、疑問符がつく
柄谷行人、蓮實重彦、山崎正和、梅棹忠夫、加藤周一、野口武彦
E:マスコミ的に有名だが、その学問はインチキである
河合隼雄、中沢新一
F:元は学者だったのだろうが、いつしか一般向けエッセイを量産する、あるいはテレビタレントのようになった人
岸田秀、田中優子、鷲田小弥太、中島義道
G:箸にも棒にもかからない、碌な業績もない、ただの大学教授
Eについて小谷野敦は
こういう人たちの淵源は、十九世紀末から二十世紀の西洋に現れた連中で、ニーチエ、フロイト、ユングといった連中だ。二十世紀最大のインチキ学問が精神分析だったというのが今の私の立場だ。(p83)
と、手厳しい。精神分析については、実証的学問でないことは確かだが、フロイトの出現は二十世紀の奇跡と私は思うのだが。それと、加藤周一に対する評価は、小谷野敦には理解できていない。数ヶ国語を扱い、外国で教鞭をとっているし、現役で最後の思想家である。朝日連載の『夕陽妄語』は、唯一信頼のおける連載であることが、分かっていない。
まあ、河合隼雄、中沢新一については胡乱なところがある。
誤解をあたえないために付言すれば、中沢新一は網野善彦と共鳴する業績については高評価されるべきであると思う。また、河合隼雄と中沢新一を、同じ次元で語ることは好ましくない。(2005年2月23日補記)
江藤淳『成熟と喪失』や、渡辺保『女形の運命』、井上章一『美人論』などへの評価が高く、このあたりは異論はない。
小谷野敦が正規の大学教員ではなく、客員教授だの非常勤講師の身分に置かれていることからの嫉妬が出ているのではないかと疑いたくもなる。年収300万から400万でも書くことが好きであれば、清貧に甘んじてエッセイストになることを勧めている。エッセイストの勧めも唐突であり、説得性がない。
読み物としては面白く刺激的であるが、『評論家入門』は話半分というところか。
現在ほど多くの国民が、文章を書いている時代は、かつてなかったと言えるだろう。携帯メール、パソコンによるメール、文書作成、個人のホームページ開設と日々の更新、ブログによる日記形式、それに2チャンネルに代表される掲示板への書き込み等々、数え上げればきりがない。紙や原稿用紙に手書きで書き綴っていた文章は、今や、WEB上に氾濫しているといっても過言ではない。それは、出版される書物の量を圧倒するのではないだろうか。国民総ライターの時代に、「評論家」になることの意味とは何なのか。書物として活字にすることに、なにほどの価値あるのだろうか。いや、だからこそ、WEB上のゴミとは異なる活字による書物の出版の価値は大きいと言えるのかも知れない。小谷野敦『評論家入門』は、そんなことを考えさせられる本だった。
- 作者: 小谷野敦
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1999/01/01
- メディア: 新書
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