読むことと書くこと


インターネット時代、多くの人々は自分のことを語り始めた。ホームページからブログに移行し、容易にWeb上に書くことが可能となった。読むことから書く時代へ、変容しつつあるように見える。数万人の素人の人々が、自分のことを語り始めるようなことは、かつてはあり得なかった。一部の作家や批評家や思想家や研究者や詩人や随筆家たちが、商品としての書物を刊行してきたが、代価を求めない書き手が、大量に現れたことは、評価されていいだろう。


本とは、所詮、商品であり、いまや、『ハリーポッター』のような大ベストセラーと、きわめて数少ないファンが読む作家に分かれてしまった。資本主義のグローバリゼイションが、徹底してきたといえるだろう。


作家が、特権的人物ではなくなる日がくるかも知れない。誰もがWeb上に、自分の意見を堂々と発表できる時代がきた。9月22日の共同通信系の新聞には、「近代文学の終焉」という見出しで中上健次以後が、語られている。


浅田彰氏は、次のように述べている。

グローバル市場では、文学も癒し商品として消費されるようになった。世界資本主義の中で、文学が扱ってきた内面の葛藤などは、単に薬物治療の対象と見なされるだけ。内面を忘れた平べったいコントロール社会で、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『ハリー・ポッター』などが市場を席巻している。
(2004.9.22)


と述べている。ブログに多くの人々が「書く」ことをとおして、癒しを求めているのかも知れない。最近の文学賞なども、応募数の多さが指摘されている。文学は、もはや近代文学が持ちえたような特権的なものではない。文章が氾濫する。読むことよりも、書くことに時間が費やされている。21世紀とは、近代文学が終焉したあとの、荒廃した時代だ。20世紀は、文学や芸術にとって最後の世紀だったのかも知れない。それは、映画(映像)の登場と、『複製技術時代の芸術』(ベンヤミン)がもたらした結果といえるだろう。


複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)


吉本隆明が依拠していた<大衆の原像>とは、まさしく虚像であった。本格的な大衆の時代が始まったのだ。


オルテガ・イ・ガセットの言う『大衆の反逆』の時代になったというわけだ。


大衆の反逆 (中公クラシックス)

大衆の反逆 (中公クラシックス)