中島義道


どうせ死んでしまう・・・・・・私は哲学病 (私は哲学病。)

どうせ死んでしまう・・・・・・私は哲学病 (私は哲学病。)


中島義道氏の『どうせ死んでしまう・・・私は哲学病』(角川書店)は、「自分の意思ではなくてこの世界に生まれ、そしてもうじき死んでいかねばならないこと、このことにいかなる意味があるのか」を、自らに問いかけて「哲学」している中島氏の死生論=存在論である。誰もが例外なく、いずれ死ぬのだから、すべては虚しい。

地位を得ても、金を得ても、家族を得ても、名声を得ても、虚しいのだ。
(p148)

また、次のように中島氏は言う。

所詮いかなる仕事も、それほど重要ではないということである。じつは、地上には命を懸けるに値するほどの仕事なんか、まったくないのである。うすうす感じながらも、人は仕事にすがりつく。なぜなら、そうでもしなければ人生は退屈で退屈でたまらないのだから。
(p133)


なるほど、「死」はすべての人に必ず訪れる。そして、確実に死ぬ。にもかかわらず、いや、それだからこそ、生きなければならない。いずれ死ぬのだから。


中島氏は、大哲学者・大森荘蔵教授の教えを受け、ウィーンに留学し、そこで学位を取得、やがて、大学の先生となる。ウィーンで結婚し、家庭も持つ。現在は、ウィーンに妻子がいて、年に数回、日本とウィーンを往復するような生活をしている。普通に見れば、中島氏は、人生の成功者である。地位、金、家族、名声を十分に得ている。それでもなお、中島氏は虚しいと言う。


昨日、言及した寺山修司は、十八歳のときネフローゼに罹り、いつ死んでもおかしくはない人生を生きた。死を常に背後に負っていたから、詩、短歌、俳句、演劇、映画など、あらゆるジャンルに挑戦し、記録として残した。寺山修司は、死んでいるが、読む者には、生きているのと同じだ。寺山修司は、死を意識していたからこそ膨大な作品群を残したのではないのか。


中島先生は、すでに死んでいるカントやホッブスなどの哲学(書かれたテクスト)を読むことで、「私とは何か」「時間とは何か」「死(無)とは何か」「意志とは何か」「存在とは何か」「時間とは何か」「偶然とは何か」「必然とは何か」について考える。

しかし、一方で、

およそこの世に研究に値するものはまるでない。新たな小説を書くことは、誰にとっても(本人にとってさえ)全然必要ではない。もう生涯かかっても読めないほど膨大な数の良書があるのだから。絵画も彫刻も音楽も、これ以上何も新たに創造しなくても、もううんざりするほど多数の傑作がわれわれに与えらているのだ。(p134)
・・・(中略)・・・
いずれすべての書物もやがてなくなってしまう。(p137)


果たしてそうだろうか。中島氏の言説は、一方で本音を語っている。それは認めよう。しかし、中島氏が感じる「虚しさ」を普遍的なものとして、過去の遺産や未来の生産性を否定する権利はないだろう。誰もが、いずれ「死ぬ」ことは間違いないことだし、だからといって、すべてが、「虚しい」といえるのは、自分自身が、地位や名誉や家族を得ているからで、たとえば、アカデミズムの外にいながら、優れた「哲学研究」を残している長谷川宏氏などは、ではどう評価すればいいのだろうか。


長谷川宏氏は、ヘーゲルの『精神現象学』(作品社)に代表される一連の哲学書の優れた翻訳をしている。中島氏のようにアカデミズムの中ではなく、在野において、仕事をしている。同じ哲学者の仕事として、私は、長谷川宏氏の翻訳や著書を読みたい。


精神現象学

精神現象学


私には、中島氏の生き方を批判する権利はない。しかし、自らの経験をあたかも普遍的原理のように、言表するのは如何なものであろうか。『どうせ死んでしまう』を読み、氏の見解に同意はするものの、「虚しさ」を持ちつづけることが正しい生き方であるかのような言説に、違和感を抱いてしまうのは、私だけではあるまい。


中島氏が推す「上手にぐれるための10冊」は、選択として妥当だろう。しかし、これらの作品は、まったく別の意味で、私にはきわめて有用かつ面白かった。とくに、ドストエフスキー『地下生活者の手記』、チェーホフ『ワーナヤ伯父さん』、カミュ『異邦人』、テネシー・ウィリアムズ欲望という名の電車』、漱石『門』、太宰治人間失格』、川上弘美『溺レる』などは。


最後に一言。
私は食べるために働く、生活するために働く、好きな書物を買うために働く、映画や演劇を観るために働く、音楽を楽しむために働く。しかし、仕事については、中島氏とほぼ同じ考えであることを申し添えておきたい。


もう一言。中島氏のこの種の本を読みたいなら、私なら、ためらわず、坂口安吾の『堕落論』(新潮文庫)をお薦めする。未読の人は、騙されたと思って読んでみてほしい。絶対、損はしません。540円ですから。・・・蛇足でした。


堕落論 (新潮文庫)

堕落論 (新潮文庫)