丸山眞男書簡集

丸山眞男書簡集 5―1992-1996・補遺

丸山眞男書簡集 5―1992-1996・補遺


みすず書房から刊行されていた『丸山眞男書簡集』が第5巻で完結した。『丸山眞男書簡集5』には、「1992−1996・補遺」が収録されている。1992年は、これまで出版を遅らせてきた『忠誠と反逆』の出版の経緯や、また、1995年9月から岩波書店版『丸山眞男集』全16巻・別巻1の刊行開始を控えて、1994年1月、雑誌『現代思想』が「丸山真男特集」を組み、青土社の版元完売という快挙があった。丸山真男ブームがこのあたりから再燃したようだ。丸山氏は、筑紫哲也宛書簡で、

現代思想』という雑誌には、まったくこれまで縁がなく、編集者も編輯方針も、これまでどっちかといえばアンチ・丸山です。「特集」の論文もアメリカ人学者の方が(翻訳がまずくて、読みづらいですが)むしろ、日本の執筆者よりも、私にfavorableです。
(p199)


と書いている。そして、いよいよ『丸山眞男集』の刊行開始。完結をみないうちに、1996年8月15日、他界。この第5巻は、自らの病気を告白し、被爆者でもあった丸山氏の晩年の交友関係を伺うことができる貴重な資料である。


大江健三郎への書簡2通も紹介されている。1994年1月は、『新年の挨拶』*1の寄贈へのお礼の手紙。1995年5月は、大江氏のノーベル賞受賞のお祝いの手紙。

貴兄の受賞、それと、文化勲章拒否のニュースが彼(マサオ・ミヨシ)にも伝わり、彼も「安心し」、また「満足」した、と思っております。とくに文化勲章の拒否は私個人の気持としても、「万才」を唱えたく、またノーベル賞の「権威」の圧力の方が大きいためか、ミヨシのいう「御用知識人」たちも、今のところ表立って嫌味もいえず、最近の日本の風潮を苦々しく思っている私はひたすら「痛快!ざまあみろ」とあまり品のよくない言葉を吐きたい思いです。(p208)


と大江氏にエールを送っています。また、過去4回対談した埴谷雄高氏への書簡も一通、紹介されている。

貴兄の近況および御健康については、色々なところから断片的に情報を得ています。
・・・(注略)・・・
近いところにいながら直接おしゃべりする機会を得られないのだけが残念です。
・・・(注略)・・・
明日、この一月入院のくわしい結果がわかる筈で、それによって再入院かどうかきまります。いずれにしても、これまで広島被爆以来、何度も死にかけた身体ですから、命が惜しくない、といえばウソになりますけれど、よくも今日まで生きたというのが実感です。
(p146)


長年の友人への気配りと、自分自身の病気についてもこだわりなく、本音を書いている。現在、一人の思想家として丸山真男論は、膨大な数にのぼり、批判と擁護、あるいは的外れな論議が交わされている。


丸山眞男集』『丸山眞男座談』『丸山眞男講義録』『丸山眞男書簡集』が出揃い、いよいよ、丸山氏の全体像を捉える丸山論のテクストが準備されたことになる。日本の近代化については、丸山のいう「古層」に蓄積されることなく、「つぎつぎとなりゆくいきおい」のように、表層のまま外来思想が消化されていく時代は終わりにしたいものだ。そのことを、丸山氏が一番、解っていたというアイロニー


なお、第5巻の巻末には、人名、書名、機関名、論文等の「索引」があり、また「宛名人別書簡索引」が付されている。書物の価値は、このような索引が充実しているかどうかであり、『丸山眞男書簡集』は利用者のことを考慮している。さすが、「みすず書房」さん。


自己内対話―3冊のノートから

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