父と暮せば


1945年8月6日。それは広島に原爆が投下された日。今年2004年は、あれから59年目となる。
原爆文学の代表作として、原民喜『夏の花』(1947)井伏鱒二『黒い雨』(1966)、福永武彦『死の島』(1971)、中沢啓治はだしのゲン』(1973−1987)、それに井上ひさし父と暮せば』(1994)などがある。



父と暮せば (新潮文庫)

父と暮せば (新潮文庫)


岩波ホールで公開中の、黒木和雄監督『父と暮せば』が好評のようだ。黒木和雄は、自らの戦争体験の三部作として『TOMORROW明日』(1988)、『美しい夏キリシマ』(2003)『父と暮せば』(2004)を撮ってきた。長崎の原爆投下の直前の時間、宮崎での自己の体験、そして今回の広島。


映画版は、娘美津江役の宮沢りえが、凛とした美しさで演技賞ものとか。幽霊の父は、原田芳雄。恋人の木下が浅野忠信。映画は未見なので、原作の井上ひさしの戯曲『父と暮せば』(新潮文庫)をとりあげたい。



井上ひさしの「劇場の機知ーあとがきに代えて」から引用。

ここに原子爆弾によってすべての身寄りを失った若い女性がいて、亡くなった人たちにたいして、「自分だけ生き残って申しわけがない。ましてや自分がしわわせになったりしては、ますます申しわけがない」と考えている。このように、自分に恋を禁じていた彼女が、あるとき、ふっと恋におちてしまう。この瞬間から、彼女は、「しあわせになってはいけない」と自分をいましめる娘と、「この恋を成就させることで、しあわせになりたい」と願う娘とに、真っ二つに分裂してしまいます。(p109)

・・・「娘のしあわせを願う父」は、美津江の心の中の幻なのです。(p110)


つまり分裂した自分の気持ちが、幽霊の父を再現させているということになる。けれども、父と娘の広島弁のやりとりは、美しく切ない。原爆による不条理な死や別離が、運命を変えてしまった。多くの被爆者の皆さんは、同じような体験や思いを残しながら、死を死んでいったと思う。この国は、世界で唯一の被爆国である。反核を世界に向かって主張することができる権利がある。先の戦争は、ほとんど忘れられようとしている。現在の憲法が、アメリカからの押し付けであろうと、平和と平等を願い、戦争を放棄した国であることの意味を、原点に帰って考えるべきだ。


9・11以降、この国は、戦前いやまさしく戦中状態にある。イラク派兵は憲法違反であり、まして、多国籍軍への参加を、いつ誰が決めたのか。なしくずし的に戦争へ傾斜して行くこの国への警告として、井上ひさしの『父と暮せば』を読むべきなのだ。また、黒木和雄の映画を観るべきだ。私も早く観たい。が、仄聞することろによれば、岩波ホールは、このところ毎回、満席とか。