恥辱


J.M.クッツェー『恥辱』(ハヤカワ文庫、2007)読了。2000年の単行本刊行時から気になっていた。J.M.クッツェーは、本作品で二度目の「ブッカー賞」を受賞し、その後2003年には「ノーベル文学賞」を受賞している。文庫化され購入してしばらく放置いたのだが、読みはじめたら1日で読了してしまった。


恥辱 (ハヤカワepi文庫)

恥辱 (ハヤカワepi文庫)


離婚暦二回、52歳の大学教授。正確にいえば准教授に降格されて不本意な科目を担当しているデヴィッド・ラウリーの転落人生。といってまえばよくある「負け犬」後半生になるけれど、本作は「負け犬」次元とは全く異なる、南アフリカという土地固有の問題を孕む恐るべき作品だった。


恥辱

恥辱


女子学生からセクハラで訴えられ、査問委員会ではまともに自己弁護せず、大学追放となり、田舎で農業生活をしている娘ルーシー宅に身を寄せる。舞台が南アフリカだから、娘が居住する農園地域は、アフリカ人の領域であり、一見、自立してみえるルーシーは、実に危険な状態にあることが、次第にあきらかにされて行く。


標題の『恥辱』とは、二重の意味がある。もちろん、ラウリー准教授が女学生からの告発による大学からの追放の身となる「恥辱」、いまひとつは、娘が現地アフリカ人三人に凌辱される「恥辱」だ。デヴィッドからみれば、娘ルーシーにそんな危険な場所に留まるより故郷オランダに帰ることを勧める。しかし、娘は父の勧告を拒否するのみでなく、積極的に隣人からの包囲を受け入れようとする。娘はレイプされたときに妊娠をしており、出産する意思を持っている。農園生活を続けるためには隣人ペトラスから三番目の妻になるよう要請されており、それも受け入れるというのだ。


ラウリー親娘は白人であり、農園生活は現地人によって支えられている。南アフリカとは、白人支配による植民地化と、アパルトヘイトという過去の歴史を背負っている。原住民と生活を共にすることは、彼らの風習に従うことを意味する。


動物のいのち

動物のいのち


デヴィッドは、娘が親しくしている「動物愛護家」の、ベヴ・ショウの手伝いをする。簡潔に言えば、動物たちの治療は表向きの看板で、実際には不要な犬の抹殺行為に加担することになる。「訳者あとがき」で鴻巣友季子氏は、カフカの『審判』を援用し、主人公は不条理な審判を受け犬のように死ぬKを想起させると記している。


審判 (岩波文庫)

審判 (岩波文庫)

審判―カフカ・コレクション (白水uブックス)

審判―カフカ・コレクション (白水uブックス)



作品の冒頭部分で語られる大学の状況。すなわち、古典・現代文学部が廃止されコミュニケーション学部で専門科目を一つ持つことが許されている。その講義が「ロマン派詩人」であり、受講生のなかに離婚した元妻にいわせると「あなたのタイプ」の女性メラニーがいたわけだ。


この小説は、今年度ジョン・マルコビッチ主演で映画化が企画されているという。私自身、『恥辱』を読みながら映像的なイメージを喚起させていた。映画向きの素材である。どのようなフィルムに仕上がるか、楽しみでもある。


『恥辱』とは、男女のセクシュアリティーの問題、人種差別問題、文学(詩)と形而上学の問題 、動物愛護問題等々、様々な切り口が可能なテクストになっている。


ゴドーを待ちながら (ベスト・オブ・ベケット)

ゴドーを待ちながら (ベスト・オブ・ベケット)


J.M.クッツェー氏は、ベケットの研究家でもあることは作品を読む際に、示唆的であることを付言しておきたい。


ベケット大全

ベケット大全


■J.M.クッツェーブッカー賞作品

マイケル・K (ちくま文庫)

マイケル・K (ちくま文庫)