小さな町


小山清『小さな町』(みすず書房, 2006.10)読了。
作者は、つつましく普通であることに価値を置き、新聞配達や、北海道で炭鉱夫として働いた経験が、素直な文体で綴られる。『小さな町』は、著者二冊目の小説集であり、冒頭に置かれた「小さな町」をはじめ「をぢさんの話」「西郷さん」「離合」などは、新聞配達員時代の平凡な起伏のない生活を淡々と描いている。著者小山清の生き方が地味で、読む者は、心が落ち着く。


小さな町 (大人の本棚)

小さな町 (大人の本棚)


「道連れ」「雪の宿」は、「これは終戦直後、私が北海道の夕張炭鉱へ行ったときの話しです。」と前置きして書き出される。「道連れ」では「鳥打帽と防空頭巾」の比喩的に兄弟が表現され、「与五さんと太郎さん」でも兄弟の比較がされる。これらの作品では、著者の夕張炭鉱での生活ぶりがさりげなく描かれる。


堀江敏幸による解説「「ふつう」と「平凡」をかけあわせて」が、小山清の世界を見事に捉えている。昨年末、講談社文芸文庫として刊行された『日々の麺麭 風貌』と併せて読むと、小さな世界の中で普通に生きている人々の日常生活が綴られていることが分かる。「をぢさんの話」のみ、この二冊に重複して収録されている。


日日の麺麭・風貌 (講談社文芸文庫)

日日の麺麭・風貌 (講談社文芸文庫)


小山清は、1965(昭和40)年に他界しているが、1965年であったことは時代の変遷を象徴している。以後、日本は高度成長期を迎え、小山清が住んだ世界が消えて行く。貧しい生活が恥ではなかった日常から、一億総中流意識への変貌である。人々のこころは変わった。小山清は、日本の高度成長やバブル期の浮遊感を知らないことは幸いであったと思いたい。


小山清が生きた時代とは、戦前・戦中・戦後と、世相としては疾風怒涛の時代であった。暗い谷間の時代でありながら、政治とはまったく係わりのない世界、洗礼を受けたクリスチャンでもあった小山清は、貧困を苦にせず、市井の小さなイエスのような存在になっている。この時代に、このような生き方をした作家がいることは、稀有のことであり、読む者に<救い>に似た感情をもたらす。孤独で清貧に満足するつつましさは敬服に値する。


二冊の本が、みすず書房の「大人の本棚」シリーズと、講談社文芸文庫から出版されている。回顧と懐旧される世界。


神の道化師・媒妁人 (講談社文芸文庫)

神の道化師・媒妁人 (講談社文芸文庫)


ちなみに明治44年生まれの作家に椎名麟三がいる。キリスト教への帰依や、労働者としての生活を描いたという点で似ている。椎名麟三が第一次戦後文学派として、脚光を浴びていたとき、小山清は夕張の炭鉱で働いていたのだった。太宰の死で帰京し作家生活に入り、「安い頭」「小さな町」が芥川賞候補になっている。


荒川洋治は、「一年一作百年百篇」(『文学が好き』)のなかで、1952年に小山清の「落穂拾ひ」をあげている。「市井人をスケッチする数々の名作と引き換えに、作者は言葉を失っていった。」と書き、また、1955年では椎名麟三「美しい女」をあげ、「「電車がすきな」電車の運転手の人生。とてもおかしな、いい小説。」と評価する。


文学が好き

文学が好き


また、荒川洋治は「文学に堕ちない「お話」」(『読書の階段』)で、小山清をとりあげ、次のように締めることばは印象的だ。

小山清は晩年、失語症になる。人間の言葉としては究極の、短いあいさつだけでなりたつ世にも美しい掌編「老人と鳩」を書いて亡くなる。おじさんも老人も青年も、同じなのだと思う。身近な言葉で支えられてきたのだ。それが人間の長い物語を照らす明かりかもしれない。たんなる文学に堕ちない「お話」。それが小山清が残したものである。(p.63『読書の階段』)


読書の階段

読書の階段