福沢諭吉の真実


福沢諭吉の真実 (文春新書)

福沢諭吉の真実 (文春新書)


平山洋氏の『福沢諭吉の真実』(文春新書)が話題になっている。福沢をめぐる評価は「脱亜論」を中心とする「脱亜入欧」的思考に対してであり、実は、その「脱亜論」は、『時事新報』の社説であり、平山氏によれば、現在定本的な岩波版『福沢諭吉全集』の13巻から16巻に収められている『時事新報論集』は、福沢自身の著作とはいえないというのだ。


平山氏の結論「おわりに」から引用する。

まず第一点は、現在なおも対立したままとなっているニつの福沢評価、すなわち福沢を市民的自由主義者とする見方と、侵略的絶対主義者とする見方のうち、後者は石河幹明による『福沢諭吉伝』と昭和版「時事論集」が完結した1934年以降に新たに付け加えられた評価であったということである。

第ニ点は、その石河が造り上げた時局的思想家としての福沢の姿が、彼の虚構であったということである。石河は自分で執筆した論説を大量に『福沢全集』の「時事論集」に採録し、それらをもとに福沢の『時事新報』経営と対アジア観の変遷を追った『福沢諭吉伝』第三巻を著したのであった。とはいえそこで描かれているのは福沢というよりも石河本人ともいうべき人物なのである。

第三点は、第ニ次世界大戦後間もなくして始まり今なお尾を引いている対立、すなわち二つの福沢評価のうちいずれが適正であるかを巡っての論争において、そもそも両陣営が間違った場所を戦場としていることを示したことである。

福沢は市民的自由主義者であるとする、慶應義塾の出身者と丸山真男率いる東京大学法学部出身者たちを主力とする研究者たちは、石河の仕事を尊重しつつ、福沢には侵略的側面もあったかもしれないが、それを思想の核と見なすべきではなく、彼の真の目的は個人の自由と経済の発展にあった、という形で福沢を弁護し、一方東京大学文学部とその他の大学の文学部・教育学部出身者を主な構成メンバーとする研究者たちは、石河の主張を積極的に受け入れて、侵略的絶対主義者としての福沢を批判していたのであった。
 しかし、そもそも石河という共通の地盤そのものが間違った場所であったのである。この対立は結局のところ丸山陣営に軍配を上げなければならないが、すっきりとした勝利とはいえないのである。(p231−233)


丸山眞男氏によれば、福沢は「シニカルな表現として『脱亜』という文字を使ったけれども、二度と使わなかった。」と「福沢諭吉の『脱亜論』とその周辺」(『丸山眞男手帖20』)で言及している。

言葉としてみますと、「興亜」という言葉が、明治十年代ですけれど、まず出てきて、それに対してちょっとアイロニカルに「脱亜」ということを言った、ということです。しかし、「脱亜入欧」という言葉は、福沢自身は、私(丸山)の管見の限りでは一度も使っておりません。(p11)


丸山眞男氏は、「脱亜論」が『時事新報』の社説であることを前提に、また、その後の署名がない「時事新報論集」は、バイアスをかけてみていたのだ。福沢を評価する丸山氏への批判については、

今日の目で見るとー非歴史的な今日の眼を歴史に投影するとー評価を誤るんじゃないかというのが、本日の報告で申し上げたかったことです。(p25)


この報告は、1990年9月12日の日本学士院におけるもので、少なくとも、丸山眞男は、『福沢諭吉全集』に収録されている無署名の「時事新報論集」を重視していなかったことだけは、確かなのだ。


平山氏は、「すっきりとした勝利とはいえない」と勝ち負けで言っているけれど、丸山氏は福沢の近代的思惟方法を評価したのであって、「時事新報」に関しては、距離をおいてみていた。いずれにせよ、テキストクリティクの点で、平山氏の提起した問題は大きな意味を持つ。厳密なテキストクリティクによる福沢の『新全集』を、岩波書店に期待したい。


なお、丸山眞男氏の福沢論の主なものは『福沢諭吉の哲学』(岩波文庫)に収録されている。皮肉なことに、平山氏の『福沢諭吉の真実』より、はるかに福沢諭吉の思想の「真実」に肉迫している。


福沢諭吉の哲学―他六篇 (岩波文庫)

福沢諭吉の哲学―他六篇 (岩波文庫)


また、『「文明論の概略」を読む』は『丸山眞男集13』『丸山眞男集14』に収録されている。古典講読の手本となる解読書である。(2005年4月7日補記)

丸山眞男集〈第13巻〉1986

丸山眞男集〈第13巻〉1986

丸山眞男集〈第14巻〉1986

丸山眞男集〈第14巻〉1986