新撰組ブーム


台風10号が過ぎ去り、京都は曇天で、微風がふき、夏としてはすごしやすい一日だった。プチ同窓会のメンバーで、京都市内の散策に、壬生から島原への新撰組コースを選んでみた。これが、そもそもの間違い。


阪急大宮駅から歩きはじめ、まず、壬生・八木邸の屯所跡を訪れたが、如何せん観光客でごったがえしていた。少なくとも、一時間以上の待ち時間。とてもつきあいきれない。それならと、島原の「角屋」へ南下した。途中、NPO法人「京都新撰組町づくりの会」事務局に立ち寄り、地図やらパンフレットやらをいただき、「角屋」へ着く。


「角屋」の門前には、「維新の石標」として、「久坂玄瑞密議の角屋」なる石碑が建っている。しかし、TVドラマによる新撰組ブームのため、ここでも、芹沢鴨の最後の晩餐の部屋として、「松の間」が紹介される。島原・角屋の300年の歴史のなかで、わずか5年程度の新撰組のみが、クローズ・アップされることに違和感を抱かざるを得ない。置屋の「輪違屋」も本来であれば、公開さることもないのだが、新撰組ブームのために特別に公開されていた。ま、ここは拾いものであった。花魁の置屋を原型のまま見ることなど、まず通常ではできないからだ。


西本願寺で、偶然「帰敬式(おかみそり)」の儀式に遭遇するなど、浄土真宗の信者ではないけれど、親鸞上人にはおおおいに関心をもっている私にとって興味深い儀式。そんなわけで、それなりの収穫を得て、京都を後にした。


考えて見るまでもないが、京都は約1000年も都であり、日本の中心地であったわけだ。上京といえば、今は東京へ上るもとになっているけれど、本来は、地方から京都へ上ることだった。京都へ行くたびに思うのは、伝統とは何か。近代化と伝統の相克は、どう折り合いがついてきたのか。疑問は氷解しない。