41歳からの哲学


41歳からの哲学

41歳からの哲学



池田晶子さんの『41歳からの哲学』(新潮社、2004.7)は、いわば<死>の哲学を日常的に解説したものだが、一部たとえば、「大学」の項目で「学問というものが、本来、役に立たない金にならないのは当然である」とか、「大学が真理の府であることが、なぜ問題か」(p70)までは、至極まっとうな考えである。


ところが、この章の末尾に「私はいずれ文部大臣になるつもり」という言説を読み、唖然とした。「文部大臣」は正確には、「文部科学大臣」であり、大臣になったとしても、その背後に膨大な官僚組織があり、政府としての意向があり、大臣一人でどこまで決定できるのか。システム自体を改革しないことには、何も変わらない。それよりも、「教育基本法」の改悪という事態の方が深刻だ。池田さんには、現実が見えているのだろうか。


前作で、小林秀雄氏に扮した『新・考えるヒント』(講談社、2004.2)で、その才気は買うものの、言い回しなどにいささか鼻白むところがあり、気にはなっていたが、とうとう天狗になってしまったようだ。


最終二章で、「愛犬」に触れているところがあり、所詮、この人の知的レベルを露呈してしまったと感じた。趣味だの嗜好だのを自慢しだすことは、もはや、末期的症状としか思えない。


インターネットもパソコンも使用しないと、自慢たらたら述べているが、出版において京極夏彦氏のようにAdobe InDesignを使用して、自己の思いどおりのデザインが可能となり、頁の割り付けも著者自身が可能な時代になっている。世間から距離を置き、原稿用紙に「自己満足の存在哲学」を披瀝されても、もはや何の迫力もない。


自らの唯我独尊ぶりを証明して見せたのが、『41歳からの哲学』にほかならない。唯一評価できるのは、養老孟司が『唯脳論』以降『バカの壁』(新潮社 2003)などで主張している脳化社会の前提を鋭く指摘している点のみであろう。

ああ、池田晶子さんのファンだっただけに、愕然としてしてしまった。情けない!


新・考えるヒント

新・考えるヒント

あたりまえなことばかり

あたりまえなことばかり