世界と日本のまちがい


まず、松岡正剛『世界と日本のまちがい』(春秋社、2007.12)。著者による『17歳のための世界と日本の見方』(春秋社)の続編のかたちだが、第一講「ネーション・ステートの謎」を読むかぎり、近代国家の成り立ちを両面から分析している。松岡氏の書物にしては読み手をわくわくさせる可能性を孕んでいる予感がする。

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義

「グロ−バル資本主義」に向かってしまった社会が、いったいいつごろ、どのように出現してきたかという背景を、近代国家や国民の成り立ちを通して、またそのほかの出来事や現象を通して、・・・(中略)・・・いくつかの大きな流れをピックアップしながら、めぐってみることになりそうです。(p.35−36)

実に刺激的で面白そうではないか。

反哲学入門


反哲学入門

反哲学入門

ついで、木田元『反哲学入門』(新潮社、2007.12)。著者の同じような書名の『反哲学史』があったが、本書は著者が大病のあと、「哲学とは欧米人の哲学である」ことを批判的にみてみようとする木田元氏の渾身の語りから読みやすく工夫されている。読書意欲をかき立てる。

小林秀雄の恵み


小林秀雄の恵み

小林秀雄の恵み

橋本治小林秀雄の恵み』(新潮社、2007.12)。著者が、37歳のときにはじめて小林秀雄の著作を本格的に読み感銘をうけた。それが『本居宣長』であり、再度『本居宣長』を読むことが、37歳当時とは格段に異なる学問的な達成感が得られたという。

私のマルクス


私のマルクス

私のマルクス

佐藤優『私のマルクス』(文藝春秋、2007.12)。著者はこの12月に、本書のほかに『野蛮人のテーブルマナー 』(講談社)、『国家論―日本社会をどう強化する』(日本放送出版協会)、『インテリジェンス人間論』(新潮社 )を出版しており、いささか書きすぎの感を否めない。量が多くなると質の低下は避けられない。佐藤氏の思想形成にかかわる『私のマルクス』と、『国家論―日本社会をどう強化する』が気になる。今回は『私のマルクス』をまず読むこと。佐藤優氏は、近年の軽薄なハウツ−本とは、一線を画しており、左右を問わず硬派に属する思想家であり、『獄中記』にみられるように稀代の読書家でもある。

獄中記

獄中記

シュルレアリスム


シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性

シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性

鈴木雅雄『シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性』(平凡社、2007.12)。冒頭の著者のことば「文学などどうでもよいと断言できる誰かのために、この書物は書かれた。」この一文は、読むことを強いる激しい宣言のことばにほかならない。20世紀前半の一時期の芸術運動、すなわち過去の運動形態に過ぎないにもかかわらず、今も「シュルレアリスム」という言葉には一種強烈な魅力がある。アンドレ・ブルトンを中心とした磁場の活動として描いたという。読んでおきたい。

パール判事


パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義

パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義

中島岳志『パール判事』(白水社、2007.7)。『中村屋のボース』(白水社、2005.4)で一躍注目を浴びた中島岳志氏。遅ればせなら未読の『パール判事−東京裁判批判と絶対平和主義』は、読まれるべくして時期を待っていた。「パール判決書」を都合よく引用してきた右派・大東亜戦争肯定論に対して、東京裁判が事後法に依拠することで「勝者の裁き」が「報復のための興行」と批判した意図の真の理解をしておくべき時だ。

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義

知への賛歌


知への賛歌――修道女フアナの手紙 (光文社古典新訳文庫)

知への賛歌――修道女フアナの手紙 (光文社古典新訳文庫)

ソル・フアナ『知への賛歌』(光文社古典新訳文庫、2007.10)。荒川洋治氏が絶賛していた300年前のアメリカ大陸最初のメキシコ人作家ソル・フアナ。学問を修めたいがために、結婚せず修道院に入り文学者となった稀有の女性。本邦初訳の必読古典。

ジャック・デリダ 1930-2004


ジャック・デリダ―1930ー2004 (別冊環 13)

ジャック・デリダ―1930ー2004 (別冊環 13)

別冊環13『ジャック・デリダ 1930-2004』(藤原書店、2007.12)を本日入手した。デリダ生前最後の講演『赦し、真理、和解』ほか、ドキュメンタリー映画デリダ、異境から』の監督サファー・ファティを巡る鼎談も収録されている。晩年のデリダは、「ハーポ・マルクスに似ている」(四方田犬彦)ことをフィルムで確認してみたい。


さて、とりあえず読書予定の本を列挙してみたが、ほかに未読・積読本が文字どおり山積になって読まれることを待っている。とくに師走になり、ほとんど読書の時間が取れなかったから、読書三昧で年越しをしたい。