アラマタ図像館5


荒俣宏『アラマタ図像館5、エジプト』(小学館文庫)をじっくり読む、というより視る。ナポレオンのエジプト遠征は、文化的に大きな遺産を残した。ナポレオンは否定的に評価される傾向にあるけれど、エジプト遠征はもちろん軍事的行動であったが、170名に及ぶ学者を引き連れてエジプトの現代地誌、考古学、自然史を調査した成果が、ほかならぬ『エジプト誌』なのである。全巻刊行に20年余を必要としたがその功績は、現代フランス民法典の原点である「ナポレオン法典」の編纂とともに、ナポレオンを文化・芸術的に評価すべきであろう。


アラマタ図像館 (5) (小学館文庫)

アラマタ図像館 (5) (小学館文庫)


ナポレオン『エジプト誌』は、「完本が300部以上存在することはない」と荒俣氏が指摘するとおり、稀覯書中の稀覯書であり、時価1,000万〜2,000万はする貴重な書物なのだ。日本では、明治大学近畿大学天理大学慶應大学に保存されていることは知られているが、Nacsis-Webatで調べると、第2版は東大総合図書館に所蔵されているようである。個人的には、洋書古書の稀代の収集家であるフランス文学者・鹿島茂氏が色刷り図入りの初版本を所蔵されていることが、『アラマタ図像館5、エジプト』の236頁に記載されている。


子供より古書が大事と思いたい (文春文庫)

子供より古書が大事と思いたい (文春文庫)


鹿島茂といえば、あの『子供より古書が大事と思いたい』(青土社、1996)がただちに想起される。また、『「パサージュ論」熟読玩味』(青土社、1996)でベンヤミンを評価した功績も大きい愛書家であり、博識で知られ、『オール・アバウト・セックス』(文藝春秋、2002)のよう軟派本も出している。


『パサージュ論』熟読玩味

『パサージュ論』熟読玩味

オール・アバウト・セックス (文春文庫)

オール・アバウト・セックス (文春文庫)


さて、荒俣宏の『アラマタ図像館5、エジプト』に触れよう。本書は現在は存在しないリブロポートから『Fantastic dozen』の第3巻『エジプト大遺跡』をもとに再編集された本であり、『エジプト誌』紹介の画期的な書物なのである。文庫本で出版された『アラマタ図像館5』は、ナポレオン「エジプト誌」の図版をほぼカヴァーしており、文庫本としては出色の内容になっている。ナポレオンのエジプト遠征以後、ロゼッタストーンを筆頭に、ヨーロッパにエジプト様式ブームが起きたのだった。


『アラマタ図像館5』の55頁に掲載されている「古代エジプト遺跡の幻想」は、第二版の扉絵を飾るもので、古代エジプトの遺跡を一枚の図に表現された画期的な絵であると荒俣氏は解説している。56頁のデンデラの「ローマ時代の円柱」は、きわめて美しい彫刻が見られる。58・59頁の「フィラエ島、大神殿柱廊」は、大神殿が輝いていた古代の光景を想像によって復元した素晴らしい復元図であるという。101頁の「カルナック」は、ラムセスⅢ世の巨像であるが、手前に小さく描かれた画家の視点から観察者の感動を伝える図となっている。102・103頁の「カルナック」の廃墟画が19世紀欧州にエジプト装飾ブームをもたらしたと言われる。オベリスクが中央に描かれ、廃墟となった神殿を見渡す荒涼とした光景が当時のヨーロッパの人々を魅了したようだ。176・177頁の「キザ」はあまりに著名なピラミッドがスフィンクスから奥にクフ王カフラー王のピラミッドを見渡す優れた構図となっている。178・179頁の「キザ」スフィンクスは、ナポレオン遠征軍が見た胴体がまだ土砂に埋もれた状態であったことがわかる。


本書によって、古代エジプトの大遺跡と未解読文字に対する好奇心が、ナポレオン「エジプト誌」に結晶されたことが、荒俣氏の説明により十分理解できる仕組みになっている。「エジプト誌」そのものは、一種ピクチャレスクの手法で作成されていることに注目しなければならない。


「第七回図書館総合展」フォーラム「発見された古代エジプトー世界最大の本 ナポレオン『エジプト誌』ー」の荒俣氏の講演と『アラマタ図像館5』は、私にとって関心外にあったエジプトに思わぬ収穫をもたらしたのだった。

小林秀雄対話集


小林秀雄対話集 (講談社文芸文庫)

小林秀雄対話集 (講談社文芸文庫)


小林秀雄対話集』のなかで、小林秀雄はヨーロッパ旅行について、永井龍男との対談で語っている。もともと「旅行記」執筆の予定だったが、現地を訪れて「まあ旅行記なんか書いたってろくなものは書けはしない」(p.140)と述べている。確かに小林秀雄には、多くの文人がヨーロッパを旅して書いた「旅行記」の類は一切ない。


小林秀雄はヨーロッパ旅行で「エジプトには一番驚きました。」(p.142)と語っている。

言わば歴史の魂が出てきた様な感じを受ける。・・・(中略)・・・建築というものの魂、彫刻というものの魂と言った印象を受ける。第一、エジプト人には建築の美学も彫刻の芸術性も、そんな考えはなかったのだからね。神殿は神殿の住居だし、彫刻は生きていて食事もすると信じ込んでいた。芸術なんかを作っていたのではないのだからね。日常生活になくてはならぬもの、最も大切な物を精魂こめて作っていたに過ぎない。それがああいう遺物の持っている力の秘密の様に思われた。(p.145)


小林秀雄のエジプト遺跡に注がれた眼は、「歴史の魂」であり、エジプト人の「日常生活」だった。遺跡は芸術ではなく、生活から必然的に作られたという見識。古代における芸術や美学は、後世の人々が勝手にそう評価したに過ぎない。


また、河上徹太郎との対談では、エジプトをギリシアと比較して次のように述べている。

ギリシアのものが古典的なら、エジプトのものは何的なんだろうと思って了うのだよ。唐が古典的なら六朝はアルカイックだと美術史家はいう。そういう意味でエジプトのものは決してギリシアのものに対してアルカイックではない。ヘーゲルの様に歴史というものを精神の発達史、自己実現史として考えれば、エジプトは、その謎を解いてもらおうとして手渡したと考えたっていいだろう。スフィンクスの謎は、デルフィの汝自身を知れ、に発展したんだ。(p.165−166)


小林秀雄は、茂木健一郎が言うように毀誉褒貶にさらされているけれど、いわば精神と肉体(心脳問題)や芸術の問題に本気で取り組んだ稀有な文人だった、と思わないわけにはいかない。