エリック・ロメール追悼


2010年1月12日の新聞報道で、ヌーヴェル・ヴァーグの牽引者エリック・ロメールの訃報(11日他界)が伝えられた。

かつて「覚書」として記録した「優雅で繊細な古典的恋愛喜劇」作家としてのロメール論を以下に貼付することで追悼にかえたい。


【優雅で繊細な恋愛喜劇あるいは偶然という至福】
フランス映画といえば、ヌ−ヴェル・ヴァ−グすなわち、ゴダ−ルやトリュフォ−がただちに想起されるが、当時たんなる娯楽作品とみなされていたハワ−ド・ホ−クスやアルフレッド・ヒッチコックのフィルムに正当な評価を与えたのがヌ−ヴェル・ヴァ−グの批評家たちだった。 そのヌ−ヴェル・ヴァ−グの長兄がほかならぬエリック・ロメ−ルであり、彼こそが真のそして最後のヌ−ヴェル・ヴァ−グを代表するヒッチコック=ホ−クス主義者なのである。



日本ではロメ−ルの作品が1980年代半ばまで紹介されなかった。1985年に『海辺のポ−リ−ヌ』(1983)が初めて公開された時、さわやかな衝撃が走り、以後『満月の夜』(1984)から、「四季の物語」として『春のソナタ』(1989)『冬物語』(1991)と『夏物語』(1996)を経て『恋の秋』(1998)まで順次われわれは、ロメ−ルの作品を見ることが出来るようになった。


四季の物語 夏物語 [DVD]

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記念碑的処女作である幻の傑作『獅子座』(1959)が、三十年遅れで公開されたことは記憶に新しい。とはいっても、ロメ−ルのすべての作品を目にすることが出来るわけではなかった。しかしその後、DVDとして「六つの教訓話」やの「喜劇と格言劇シリーズ」未公開作品をみることができる環境になっている。


獅子座 [DVD]

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ロメ−ルの恋愛喜劇は、ヒッチコックのサスペンス映画やホ−クス西部劇のように、いつも似たような物語が展開される。若い女性たちを主人公にして、豊かな知性と青春の輝かしさを生なましく、しかも洗練された台詞のやりとりに託して、あたかも優雅で繊細な古典劇のように端正な語り口で演出される。



 とりわけ、ロメ−ル的瞬間とも呼ぶべき至福が用意されているのが、『緑の光線』(1986)である。ヴァカンスにでかける約束をしていた友人からキャンセルされたデルフィ−ヌは、いくつかのリゾ−ト地をめぐりながら理想の男性との出会いを切望する。彼女の期待はことごとくはぐらかされ、次第にみじめな気持になりパリへ戻ろうとする。けれどもまさにその瞬間、駅でドストエフスキ−を読んでいる時に一人の男性と出会い、運命的なものを感じる。偶然の遭遇によって、太陽が沈む時に放つ伝説の<緑の光線>を二人で見る至福の瞬間を迎える。 



春のソナタ [DVD]

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その続編が『冬物語』であり、ヴァカンスで幸福な出会いをしたフェリシ−はささいな間違いから、最愛の男性と別れて5年間が経過する。その間に、フェリシ−は子供を育てながら二人の男性(美容師と図書館司書!)と同時進行的に関係を持つが、どうしても結婚に踏み切れない。そんなある日、たまたま乗り合わせたバスの中で、ヴァカンスの男性に出会う。偶然がもたらす至福が、あまりにもあっけなくラストで成就する。恋愛劇を描きながらも、ロメ−ルの作品のなかではセックスがあからさまに描写されることは徹底して回避されてきた。しかし唯一の例外として『冬物語』の冒頭のシ−ンがあり、実に速いリズムで男女のヴァカンスの出会いと別れがきわめて官能的に描かれる。この二作品では偶然による至福体験が語られ、見る者に知的陶酔に満ちた幸福な時間を堪能させてくれる。 

 

冬物語 [DVD]

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考えてみれば、ロメ−ルは第一作の『獅子座』において、偶然による僥倖というかたちで、その特権的世界が示されていたのだった。舞台はヴァカンス中のパリ、中年になるまで気侭な生活を楽しんでいたピエールは、友人たちが次々とヴァカンスに出掛けてしまい、所持金が底をつきホ−ムレスのごとくパリをさまよい歩く。伯母の遺産が一旦従兄に相続されていたが、一転して従兄の突然の交通事故死により、ふたたび主人公に遺産がころがり込み、幸運がもたらされる。実は、『緑の光線』とは『獅子座』の女性版リメリクであったことに気づく。



ロメ−ル的世界に親しむには、もっとも軽快で台詞の洒脱さを味わうことが出来、しかも偶然が導く至福体験も得られる『レネットとミラベル、四つの冒険』(1987)がお薦めであろう。第一話の「青い時間」では、都会の少女ミラベルが田舎娘レネットに偶然に出会うシ−ンから始まり、夜明け前の音のない瞬間を自然のなかで体験する。残りの三つの挿話は、少女たちの会話が生き生きと、微笑ましくかわされ、ロメ−ル的世界のなかで、その不思議なユ−モラスな幸福感にすっかり感染してしまうこと請け合いである。なにげない日常生活を描写してこれほど素晴らしい作品に仕上げることができるのは、稀有な才能の持ち主ロメ−ルならではといえよう。 


 
        

ほかに、少女を中心とした六人の若者達の恋の堂々めぐりがヴァカンス先の別荘で繰り広げられる『海辺のポーリ−ヌ』(1983)、二人の男性の間で揺れ動く若い女パスカル・オジェの心理をシニカルに描いた『満月の夜』(レナ−ト・ベルタ撮影の最も贅沢な作品の一つ)、少女二人の恋人たちの交換劇である『友だちの恋人』(1987)、高校で哲学を教えている女性教師を主人公にして、恋愛と哲学についてのコントが展開される『春のソナタ』などがある。



七十歳を過ぎて以降、ロメ−ルはフィルムの中で若返り続けている。それは、何よりもハワ−ド・ホ−クスのコメディに限りなく接近していると評判の高い最新作『木と市長と文化会館、または七つの偶然』(1992)を見ることによって証明されるだろう。



拙稿の『覚書』は『木と市長と文化会館』までが対象であったけれど、その後、『O侯爵夫人』(1976)や『グレースと侯爵』(2001)などの古典劇が公開された。遺作が『我が至上の愛アストレとセラドン』(2006)であったことは、いささか残念だが、現代劇をも古典劇を土台として撮ってきたロメールにとって、典型的な古典的喜劇『我が至上の愛』が遺作であったことに納得しなければなるまい。


グレースと公爵 [DVD]

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いずれにせよ、エリック・ロメールの作品全体を通してみると、古典主義者であったことが分かり、ヌーヴェル・ヴァーグとは、文字通りの「新しい波」であると同時に、物語の原点を志向する運動でもあったわけだ。


アストレとセラドン 我が至上の愛 [DVD]

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新作をみることができないが、オリヴェイラが100歳になっても映画を撮り続けていることを思うと、89歳の死は通常大往生のイメージとして受入れるしかないけれど、最後にもう一本現代劇を撮って欲しかったとファンの一人として思う。



エリック・ロメールに敬意を表して合掌。