吉本隆明の思想


アカデミズムに属さず、筆一本で生活者として自立し、60年代から70年代の思想的カリスマだった吉本隆明。氏の理論的大著で唯一、単行本化されていなかった『心的現象論本論』(文化科学高等研究院出版局、2008.7)が上梓された。豪華版は、既刊の『心的現象論序説』と『本論』を収録したもので、限定1000部、定価七万円と常識を超える定価に設定されている。普及版の『本論』を購入したが、それでも8,400円は痛い。


心的現象論本論

心的現象論本論

吉本隆明の思想

吉本隆明の思想


あわせて、山本哲士自ら『吉本隆明の思想』(三交社、2008.7)を刊行して、吉本思想の啓蒙に努めている。


ほぼ同じ時期に、糸井重里編集の『吉本隆明 声と言葉』(東京糸井重里事務所、2008.7)が、講演CD付きで出版されている。これは限定出版『吉本隆明 五十度の講演』と題する講演CDの発売に合わせて、さわりを74分に編集収録したのもであり、『五十度の講演』は吉本講演のアーカイヴになっていて、定価五万円。


吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜 (Hobonichi books)

吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜 (Hobonichi books)


一方は哲学者・山本哲士による吉本個人誌『試行』に30年掲載された『心的現象論』の単行本化であり、他方は、コピーライター糸井重里による講演録集成、両方購入すると軽く10万円を超える。いくら本好きだと言っても、余程の心酔者やファンでなければ、この不景気に十二万円の支出はできまい。個人全集の刊行なら、毎月配本で総定価が十万円を超えてもさほど気にならない。「文化資本」という名における<思想の資本主義的商品化>にほかならない。


まあ、私としては『心的現象論本論』の普及版の購入と、「立ち聞き74分」の購入特権で講演2つが無料でダウンロードできる仕掛けになっているので、これで十分だ。といっても吉本隆明の声を聞くのは、今回が初めてのこと。とつとつとしたおしゃべりで、小林秀雄の落語的口調とは異質なものとなっている。「立ち聞き講演」は、吉本隆明の生真面目さを体感することになる。それはそれで、実りあるものだ。



早速、山本哲士吉本隆明の思想』を読み始める。序論に吉本隆明の思想が要約されている。

フーコーディスクール的プラチックの域を切り拓いたことに対応する位置を、吉本は<言理>として切り拓いたというように概念をあてたい。言説でも言述でもなく、この、言理の理論を吉本隆明の基本としたい。吉本の言理は、幻想をめぐる幻想理と、言語表出をめぐる表出理と、心的疎外をめぐる疎外理からなっている、「理」のディスクールである。この<理>のディスクールとは、実存主義構造主義マルクス主義をこえ、内へむけた「論理」、外へむけた「理論」となっているのも「主体と構造」の対比をこえているためである。言理は思想と理論との隔たりを架橋していくものである。(p.17−18)


何やら壮大な吉本論が展開されそうである。

自立の思想は、<知識人−大衆>における大衆へ原像を据えることにより実存主義的知識主義をこえ、共同幻想論は、マルクス主義国家論や社会構成体論をこえ、心的現象論はフロイト的な心的内容主義をこえることから構造主義的な無意識論をこえ、言語表出論は、マルクス主義的言語交通論や構造主義的コミューン論をこえている。つまり、知識や経済的土台や無意識の規定性・決定性をこえることで、存在以前の初源/原初=疎外をとらえているのだ。ひらたくいえば、ものごとがなりたつ根拠を、構造へも主体へも還元せずに、表出するもののあり方においてとらえていくのである。(p.18)


定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)


このような山本哲二氏の<言理>論によれば、吉本隆明実存主義構造主義マルクス主義フロイト主義など、あらゆる基底還元主義をこえているという解釈になる。近代日本の思想家は、西洋の思想に影響され「つぎつぎとなりゆくいきおひ」によって、思想の表層を着せ替えていったことを思うと、吉本隆明のみが日本独自の世界レベル的思想を構築した、ということになる。


親鸞 決定版

親鸞 決定版


思想そのものを深く語る資格のない私にとって、吉本隆明埴谷雄高はアカデミズムに属さず、筆力によって己の思想を構築したという点では、戦後思想史のなかでは際立った存在であると思う。埴谷雄高が「先生」と呼ばれると「私は教師ではない」と否定したそうだが、吉本隆明にも<自立の思想>が根底にある。


マチウ書試論・転向論 (講談社文芸文庫)

マチウ書試論・転向論 (講談社文芸文庫)


知の巨人が不在の時代にあって、荒廃したこの世界に立ち向かう真の思想家はいない。吉本隆明の<言理>に、山本哲士は自己および世界解読の方法を見出したようだ。久々に硬派の思想書を読む興奮を覚える。


夏目漱石を読む

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