「映画女優の自伝」を読む2(キッチリ山の吉五郎)
私の渡世日記
高峰秀子の自伝、『私の渡世日記』(文春文庫,1998)を読む。
女優の自伝について、小津安二郎メモの関連として前回は、岡田茉莉子と岸惠子の自伝に触れた。しかし、女優自らが執筆した自伝の嚆矢は、高峰秀子の自伝『私の渡世日記(上)(下)』であり、しかも優れた映画史にもなっている。
小津安二郎に言及した箇所が下巻にある。「キッチリ山の吉五郎」という見出しのもと、『宗方姉妹』撮影時の体験が次のように記されている。
微笑を浮かべた彼の目が、じっと私をみつめた。その目は、ただ不用意に女優の顔を見る目ではなく、私の皮膚を突き破って内臓まで見通すような、脳ミソの重さまで計るような、奥深い目だった。それでいて、鋭さや厳しさなどみじんも感じられない、慈愛に満ちた温かい表情がそこにあった。骨太でガッシリとした体格の小津安二郎の顔は大きく立派で、古武士のような風格があった。
(88頁『私の渡世日(下)』)
昭和三十年一月、私は小津安二郎から思いがけない手紙をもらった。/「『浮雲』を見た。デコにとっても成瀬にとっても、最高の仕事だと思います。早く四十歳になって、僕の仕事にも出てください」(96頁『私の渡世日(下)』)
以上のように、小津安二郎には親しみを込めて、しかも厳しい監督として「キッチリ山の吉五郎」と命名している。
更に、『宗方姉妹』撮影時に高峰秀子は、小津安二郎の頭髪に関する冗談を遠慮なく言う。
「宗方姉妹」を撮ったとき、小津安二郎は四十六歳だった仕事用の白ピケの帽子を脱いだ彼の頭は、四十六歳にしてすでに朧月夜だった。なけなしの頭髪の乱れを気にして後頭部を撫でている彼に私は言った。「先生はもう櫛なんか要らないね、ヘラで間に合う」/小津安二郎は「このヤロウめ」と私をこづきながらも、余程その冗談が気に入ったらしく、その後、なにかというとヘラの話を吹聴しては面白がって笑っていた。(93頁『私の渡世日(下)』)
厳しい監督に向かって、堂々と冗談を言える高峰秀子は、傑物だ。高峰秀子は秀逸な女優であり、本書の自伝・エッセイは、現場から見た映画史にもなっている。
それにしても、岡田茉莉子・岸惠子の先輩女優である高峰秀子の『私の渡世日記』は優れた作品として、自立している。高峰秀子は、木下恵介と成瀬己喜男の二人の監督作品がほぼ同数であり、『二十四の瞳』(1954)と『浮雲』(1955)がそれぞれの監督との代表作になっている。
上巻の「馬」「青年・黒澤明」「恋ごころ」(283~328頁)は、高峰秀子の<初恋>について、率直に告白している貴重な内容であることを申し添えておきたい。
ここでは、高峰秀子自選ベスト13作を『高峰秀子』(キネマ旬報社,2010)から、以下に記載しておこう。
- 山本嘉次郎『馬』(1941) いね
- 山本嘉次郎『春の戯れ』(1949) お花
- 豊田四郎『雁』(1953) お玉
- 木下恵介『二十四の瞳』(1954) 大石先生
- 成瀬己喜男『浮雲』(1955) ゆき子
- 野村芳太郎『張り込み』(1958) さだ子
- 稲垣浩『無法松の一生』(1958) 良子
- 成瀬己喜男『女が階段を上る時』(1960) 圭子
- 松山善三『名もなく貧しく美しく』(1961)
- 松山善三『山河あり』(1962) きしの
- 成瀬己喜男『放浪記』(1962) ふみ子
- 増村保造『華岡青洲の妻』(1967) 於継
- 豊田四郎『恍惚の人』(1973) 昭子
以上13本が、高峰秀子自選とされる。
山本嘉次郎が2本、木下恵介が1本、成瀬己喜男が3本、松山善三が2本、豊田四郎が2本。野村芳太郎、稲垣浩、増村保造がそれぞれ1本となっている。
次回こそは、小津安二郎について覚書をUPしたいと思っている。
小津安二郎に関する記事は数多く、もはや書くことなど残されていないのだが・・・