エルンスト・ルビッチはドアの開閉によって完璧な映画をつくる

エルンスト・ルビッチに関する二・三の事柄

 

エルンスト・ルビッチは完璧な映画をつくる。

ルビッチ・タッチと呼ばれる独特のショットのリズム、すべてがジャンル映画、すなわち「恋愛コメディ映画」の名手とされる。ヒッチコックが「サスペンス」に終始したように、「艶笑喜劇」にこだわり続けた。
エルンスト・ルビッチの映画は、どの映画を見ても面白い。

 

キャメラの据え方は一千通りあるが、正しい位置は一つしかない」(エルンスト・ルビッチ

 

陽気な中尉さん [DVD]

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  • 発売日: 2008/06/25
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オペレッタの傑作三部作】
まずは『陽気な中尉さん』(1931)をみてみたい。
ドアの開閉が重要な役割を担っている。冒頭、モーりス・シュヴァリエ扮する中尉の部屋へ借金の回収にやってきたとおぼしき男がドアをノックするが、全く返事がない。やむなく立ち去ると、次に若い女性がドアをノックすると、そっと開き女性を部屋の中へ招きいれる。しばらくして女性は部屋を出て行く。この単純だが、ウィットの効いたショットの連続だけで、部屋に住む住人は女性にもてる男だと理解できる。
さて、その男が、中尉モーりス・シュヴァリエである。中尉は同僚に誘われて、バイオリン演奏会に行く。そこにいたのは、美人のバイオリニスト、クローデット・コルベールであり、二人はたちまち恋に落ちる。
さて、オーストリアの隣国の国王と王女が列車で来国する。列車内で電報が届き、まず電報を受け取った従者がその用紙を箱に収め鍵をかけて、恭しく上司へ渡す。するとその上司は手袋を両手につけて豪華な箱に収め隣室の国王の前に出て、うやうやしく国王に箱から出して手渡す。電報とは直ちに読むべきもものだが、この儀式的な手続きは、
爆笑ものだ。もちろん意図して、余計な行程を示すことで、王国の尊大さを皮肉っているのだ。
隣国の国王と王女の歓迎行事で、中尉は笑顔とウインクを王女(ミリアム・ホプキンス)に送ってしまったことから、王女の希望により中尉との結婚式が行われることになる。恋人であったクローデット・コルベールは、隣国に乗り込み、バイオリン演奏会を開く。中尉は王女への関心がなく、恋人のバイリニストの演奏会に通う。
ここからが『陽気な中尉さん』の見所で、クローデット・コルベールは愛の方法を王女に伝授し、去って行く。
中尉のモーリス・シュヴァリエは、王女ミリアム・ホプキンスの変貌とピアノの音に誘われて、無事に女王の婿に収まるハッピーエンドに終わる。そこに至るまで、ドアと階段を効果的に用いて、ルビッチ・タッチが冴え渡る仕掛けになっている。傑作である。
オペレッタ映画は、モーリス・シュバリエ主演『ラヴ・パレイド』(1929)にはじまり、『モンテ・カルロ』 (1930)『陽気な中尉さん』(1931)と続き、最後が『メリィ・ウィドウ 』となる。中でも『陽気な中尉さん』は傑出していると言っていいだろう。

 

 

ウィンダミア夫人の扇《IVC BEST SELECTION》 [DVD]

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ウィンダミア夫人の扇】
サイレント映画の傑作といわれる『ウィンダミア夫人の扇』(1925)は、極力字幕を排して映像で見せるスタイルに徹している。ウィンダミア夫人(メイ・マッカヴォイ)とウィンダミア卿(バート・ライテル)は仲の良い夫婦。しかし、ウィンダミア夫人に、ダーリントン卿(ロナルド・コールマン)が「I love you」と迫ってくる。
一方、夫のウィンダミア卿には、夫人の実の母であるアーリン夫人(アイリーン・リッチ)に資金援助をしている。

ウィンダミア夫人の誕生日、お祝いとして扇を妻に贈る。これがそもそもの誤解の原因になる。アーリン夫人は、ロンドンの社交界に復帰したい、そして独身貴族オーガスタ卿(エドワード・マーティンデル)から結婚の申し込みを受けたいという下心がある。さて、ウィンダミア夫人の誕生日パーティの日、社交界の多くの人々が集い語らう。

イギリスやフランスの社交界では当たり前の景色だが、この映画の製作時点では、ドイツからアメリカにきたルビッチは、巨大なドアだの華やかな雰囲気の舞踏会など社交界の演出は、ハリウッドでは眩い光景だったはず。

アーリン夫人が誕生パーティに参加して夫が相手にいるのを見て、嫉妬した夫人はかねてから求愛を受けていたダーリントン卿と浮気をしようと扇を手にパーティから離れる。実の娘・ウィンダミア夫人の行動を怪しんだアーリン夫人は、娘の跡をつけ居場所に合流する。二人が書斎で話をしているところへ、男たちは興味本位でウィンダミア夫人の部屋にやってくる。そこには夫人の扇が置き忘れらている。オーガスタ卿がその扇を発見し、ダーリントン卿と浮気をした証拠と言い立てる。そこへ、アーリン夫人が実は「ウィンダミア夫人から借りた自分が置き忘れた」と言って、ウィンダミア夫人をかばうことになる。ウィンダミア夫妻はこれで円満になるのだが、アーリン夫人は結婚を申しまれていたオーガスタ卿に嫌われる。二人が再開出するが気まずい雰囲気、ところが機転をきかせたアーリン夫人は、「わたしに恥をかかせた」とオーガスタ卿に告げることで、母親も無事に結婚に至りそうだという結末。

浮気話を問題なくモラル崩壊を止めている演出は、「艶笑喜劇」の名手といわれるルビッチのモラリストたることを証明している。
サイレントでは、『ウィンダミア夫人の扇』が、巨大なドアの開閉によって、男女のかけひきをドア、生垣、扇など、セットや小物に託して、人生賛歌のきわみを表現した最高のフィルムであろう。

 

淑女超特急 [DVD]

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【淑女超特急】
『淑女超特急』は、『当世女大学』(未見)のリメイクらしいが、軽妙なコント作品として、見て楽しい映画になっている。マール・オベロンは、上流階級夫人。夫メルヴィン・ダグラスと結婚6年目の倦怠期。精神分析医の診察待ちの場所で、偶然出会ったのが、ピアニストのバージェス・メレディス(後の『ロッキー』ではトレナー役)の特異なキャラクターに魅せられ浮気心が沸いてくる。ギャグの応酬と、妻を取り戻すべく奮闘する夫に肩入れしたくなる艶笑喜劇。

 

街角 桃色の店 [DVD]

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私の殺した男 [DVD]

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エルンスト・ルビッチモラリストぶりは、『桃色の店』のヒューマニズムや、『私を殺した男』における第一次大戦への批判的描写などにもみられるが、フィルム全般に艶笑コメディを装いながらも、結末はモラリストぶりを発揮している。

 

極楽特急 [DVD]

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【これぞルビッチの完璧映画『極楽特急』】
極楽特急』は、ルビッチ・タッチが最も見事に作用したフィルムになっている。
ハーバート・マーシャルミリアム・ホプキンスの泥棒コンビが、しなやかにしたたかに、ケイ・フランシスを誘惑する。もちろん、目的は宝石類やお金をいただくことだが、ハーバート・マーシャルケイ・フランシスの美しさにも魅せられる。艶笑喜劇という点からいえば本作がルビッチらしさが出ているベスト1でもある。

 

生きるべきか死ぬべきか 2Kデジタル修復版 [DVD]

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【私のルビッチ・ベストワン映画】
極楽特急』は別として、ルビッチ映画のベストワンは『生きるべきか死ぬべきか』になる。何よりもキャロル・ロンバードの出演であり、本作では彼女なしでは、あり得ない作品だからだ。

ポーランドワルシャワが舞台。まず劇団がナチスに扮した演劇の稽古中の模様を観客に見せ、続いて急遽ポーランドナチス支配下に入る。劇団は「ハムレット」を上演している。劇団主役のジャック・ベニーが「To be or not to be ....」の台詞が始まると客席の2列目の男(ロバート・スタック)はいそいそと客席を離れる。主役の目の前で離席するこの行為は、主役を演じている男の妻キャロル・ロンバードの控室を訪ねるためである。このシーンが反復されるわけだから、そのシーンだけでも十分コメディたりえている。
しかし、ナチス支配下の劇団の運命に係わってくるスリルの中でのキャロル・ロンバードの色気が放つ誘惑が極めて大きい。キャロル・ロンバードは、スタンリー・リッジ扮する教授に近づき彼がナチスのスパイだったことが、思わぬ展開に発展して行く。劇団の全員が息を合わせて、ゲシュタポ集団になりきって、本物のナチスに対応する手際の良さと、ヒトラーに扮する劇団の俳優も見事に演じきり、全員がイギリスへの脱出に成功するというお話。

ロンドンで再び「ハムレット」の上演が始まる。すると、例の「To be not to be」シーンにさしかかると、今度は3列目の男が席を抜け出そうとする。絶妙のエンディングだ。大傑作である。ナチス支配下での、ナチスを痛快に皮肉る本作は、チャップリンの『独裁者』に匹敵する、いや痛烈な皮肉はチャップリンが正面から批判してるのに比べて、側面から背後を突くという喜劇の真髄を見せている。
この作品が、キャロル・ロンバード出演最後の映画となった。『生きるべきか死ぬべきか』で着用した背中が大きく開いた白のドレス姿はあまりにも美しい。スクリューボール・コメディとしてヒッチコックが唯一撮った『スミス夫妻』のキャロル・ロンバードも良かった。

 

 

結婚哲学《IVC BEST SELECTION》 [DVD]

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  • 発売日: 2012/01/27
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君とひととき [DVD]

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【リメイク映画が素晴らしい】
『結婚哲学』と『君とひととき』
サイレントの『結婚哲学』は、上流階級(教授や医師)の妻たちの浮気騒動を、洗練されたタッチで描いたサイレントのルビッチ的世界の達成であろう。リメイク版『君とひととき』は最初リメイクだとは全く思わなかった。上流階級の設定は同じだが、俳優の違いと音が入ることによって笑いのタイミングが『君とひととき』に軍配を上げたとわたくしは思った次第。

 

 

ニノチカ [DVD]

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グレタ・ガルボが主演の『ニノチカ』は必見の映画】
グレタ・ガルボを迎えた『ニノチカ』は、ソ連という体制そのものを笑いで皮肉った傑作だ。まずソ連邦から旧貴族の宝石を売って外貨を獲得する役目を負った3人がパリにやってくる。資本主義の享楽に現を抜かす3人を監視する役目を担って、堅物のグレタ・ガルボがパリにやってくる。不機嫌でいっさい笑わない冷徹な女というイメージが最初に提示される。
そのガルボが、信号待ちでメルヴィン・ダグラスと出会う。ソヴィエト連邦の原理を根本から信じているガルボにとって、パリは享楽の世界であり、許せない。ところが、メルヴィン・ダグラスとの出会いが彼女を大変身させる。このあたりいかにもルビッチらしさが出ていて、単なるソヴィエト連邦批判で終わらない。ソフトフォーカスで捉えられたガルボが美しく、絶品である。

 

ルビッチ映画のドアの重要性について

エルンスト・ルビッチは、サイレント映画の撮影は<画面>を見せることにあると考え、極力<字幕>を少なくして、映像に語らせた。扉の開閉によって状況を説明することにこだわり、ドアが閉じられいる時、ドアの中で何が起きているかを、前後のカットにより見る者に察知させたのだった。扉の開閉は、トーキーになっても変わることなく、ある映画を途中から見ても必ず、監督名が分かる作家となった。小津安二郎とルビッチは、ひとつの画面あるいはワン・シーンですぐ、監督名がわかる映画作家なのだ。

 

エルンスト・ルビッチ映画ベストテン】
以下に、とりあえずのエルンスト・ルビッチ映画ベストテンをあげてみた。見ていない作品が多く、もちろん見た作品から選んでいることは申すまでもない。なお、8位から17位は入れ替え可能である。なお、今回基本はDVDの見直しによって選出したが、『天使』と『生活の設計』はVHSを所有していたはずだが、現物が見当たらない。従ってこの2本のみは過去に見た記憶に依拠しているので、順位の変更が可能であることをつけ加えて置きたい。


1)生きるべきか死ぬべきか To Be or Not to Be (1942)
2)極楽特急Trouble in Paradise (1932)
3)陽気な中尉さん The Smiling Lieutenant (1931)
4)ニノチカ Ninotchka (1939)
5)桃色の店 The Shop Around the Corner (1940)
6)私の殺した男 Broken Lullaby (1932)
7)ウィンダミア夫人の扇 Lady Windermere's Fan (1925)
8)天国は待ってくれる Heaven Can Wait (1943)
9)メリィ・ウイドウThe Merry Widow (1934)
10)君とひととき One Hour with You (1932)
11)結婚哲学The Marriage Circle (1924)
12)ラブ・パレードThe Love Parade (1929)
13)モンテ・カルロ Monte Carlo (1930)

14)青髭八人目の妻 Bluebeard's Eighth Wife (1938)
15)天使 Angel (1937)
16)生活の設計 Design for Living (1933)
17)淑女超特急 That Uncertain Feeling (1941)
18)山の王者 Eternal Love(1929)
19)ロイヤル・スキャンダル A Royal Scandal(1945)
20)あのアーミン毛皮の貴婦人That Lady in Ermine (1948)

 

■補足(2021年5月25日)

ベストテンリストの最後の二作品『ロイヤル・スキャンダル』と『あのアーミン毛皮の貴婦人』は、ルビッチが心臓病のため、撮影はオットー・プレミンジャーに任された。しかし、作品の味わいは、ルビッチ作品とほぼ同様の面白さを見せているので、ルビッチ作品扱いとした。前者は、タルラ・バンクヘッド(ヒッチコック『救命艇』主演)のわがまま王女役が快調だし、後者では、米軍のピンナップガールとなったベティ・グレイブルが、女伯爵と先祖の絵画からぬけだすアーミン毛皮の貴婦人の二役を演じているところも見所である。

 

ロイヤル・スキャンダル [DVD]

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あのアーミン毛皮の貴婦人 [DVD]

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【補足2】(2021年11月30日)

青髭八人目の妻』の冒頭、ニースのデパートで、ゲイリー・クーパーはパジャマの上着だけ必要だと店員に要求すると、上司の上司から社長まで伺いをたて、変則的な売り方は出来ないという回答であった。そこにパジャマの下だけ欲しいというクローデット・コルベールが申し出て無事にパジャマ問題は解決する。この冒頭の出会いを考えた脚本家はビリー・ワイルダーであった。このことは、ヘルムート・カラゼク『ビリー・ワイルダー自作自伝』(文藝春秋,1996)の「パジャマの上がパジャマの下と出会う」の項目(156頁)にでていることを補足しておきたい。『青髭八人目の妻』は、ゲイリー・クーパークローデット・コルベールがお互いに愛しているにもかかわらず、口撃を繰り返す、典型的なスクリューボール・コメディになっている。