草森紳一・副島種臣・石川九楊

蒼海 副島種臣―全心の書―展 図録

 

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蒼海副島種臣 全心の書

草森紳一が、李賀(長吉)とほぼ同じ分量の原稿を書き残している副島種臣の「書」に関する図録・佐賀県立美術館編『没後100年記念 蒼海 副島種臣―全心の書―展 図録』(佐賀新聞社,2007二刷)を入手した。

書については素人なので、あれこれ発言することは控えたい。

 

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紉蘭

草森紳一の連載原稿のタイトル「紉蘭 詩人副島種臣の生涯」(『すばる』1991年7月号〜96年12月号(65回))は、図録の21「紉蘭(じんらん)」から取られていたこと、

「薔薇香處 副島種臣の中国漫遊」(『文學界』2000年2月号〜03年5月号(40回))は、図録11「薔薇香處」から取っていること、この二点が確認できた。

 

図録の最後に、石川九楊「焦燥・挫折・逆転 副島種臣の「超書」の世界を覗く」と草森紳一「一字一珠 副島種臣における清国漫遊中の「書」の観念、そして山岡鉄舟との接点をめぐって」が掲載されている。

私的には、図67「衆人皆酔 我独醒」が、草森紳一『北狐の足跡』の冒頭に図として紹介されていたので、印象に残る。

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図26「春日其四句」の「野富 烟霞 色天 縦花 柳春」が横に、二文字づつ書かれている前衛的な書が、おもしろい。

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春日其四句

「春日其四句」について、石川九楊は、『説き語り日本書史』(講談社,2011)において次のように評価している。

佐賀藩出身の副島種臣征韓論争に敗れて下野してのち政治家としては不遇をかこつことになる。明治十六、七年頃から、副島種臣はさまざまなスタイルで驚異的な書を書き、漢字の書における近代的表現の本格的到来をしめした。二字づつ区切った構成、個々の字形といい、驚くべき独創性をしめしている。まるでクレーやミロの絵画を思わせる。」(157頁)

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帰雲飛雨

また「帰雲飛雨」についても、次のように述べている。

「「蒼海老人種臣」と号が記されている。回転運動と垂直運動を主とした強靭な筆蝕。<雨>の縦画が斜めに走っているのが見事である。」同上(157頁)

 

 

副島種臣 (人物叢書)

副島種臣 (人物叢書)

  • 作者:安岡 昭男
  • 発売日: 2012/02/01
  • メディア: 単行本
 

 

副島種臣に関する著書として、安岡昭男『副島種臣』(吉川弘文館,2012)と、
森田朋子・齊藤洋子『副島種臣(佐賀偉人伝12)』(佐賀県立佐賀城本丸歴史館,2014)の二冊を通読してみる。

 

 

外務卿としてのマリア・ルス号事件への対応ぶり、明治天皇の侍講という職で漢籍の知識を披露したことが特筆されるが、他の幕末・明治維新関係のいわゆる偉人に比べてきわめて地味である。書に圧倒される割には、公的な仕事は控え目である。やはり、「全心の書」こそが評価されるべきだろうとの見方が必然だろう。

 

さて、草森紳一から副島種臣へ、更に石川九楊に至ることになるのは、副島種臣の<超書>への石川九楊の評価に負うところが大きいだろう。

 

書 - 筆蝕の宇宙を読み解く (中公文庫)

書 - 筆蝕の宇宙を読み解く (中公文庫)

  • 作者:石川 九楊
  • 発売日: 2016/03/18
  • メディア: 文庫
 

 石川九楊『書 筆蝕の宇宙を読み解く』(中公文庫,2016)で、副島種臣の書について「紉蘭」を紹介しながら「彼の作品の基調には、時の政府に対する憤り、怒りがあるように思います」(75頁)と記している。

 

説き語り中国書史 (新潮選書)

説き語り中国書史 (新潮選書)

  • 作者:石川 九楊
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本
 

 石川九楊『説き語り日本書史』(講談社,2011)では、

「副島は幕末維新期の唐様+日本型墨蹟の系譜に出発しながらも、二度にわたる渡清によって六朝書の影響を受けることになります。・・・(中略)・・・明治十六、七年の副島種臣の書は、漢字(漢詩・漢文)の書における近代的表現の本格的な到来を示すものといえます。「春日其四句」は、その代表的なものです。・・・(中略)・・・副島種臣は戦後前衛書道家でも着想できないようなスケールの、今でも驚くような書を残しています」(156~158頁)

と絶賛している。

 

 『文字の大陸 汚穢の都 明治人清国見物録』(大修館書店,2010)は、明治期に清国を訪問した尾崎行雄原敬、岡千仞、榎本武揚伊藤博文の記録を読み解いている。
「汚穢甚だしうして、臭気鼻を衝くが故、各皆、巻煙草に点火して防臭剤と為す」と尾崎幸雄は記すほど、非衛生的な当時の清国について触れる。草森紳一は、尾崎が「この汚穢の体験からジャンプして、中国人の言語感覚がなぜ美に巧みなるかということへ、深々と思いを致す」と推測している。


この点からも、副島種臣の清国漫遊についての草森紳一の言及に関心が高まるのは当然であろう。前回(2020年8月)で、『副島種臣(仮)』の出版を希望した思いは、石川九楊の書解読を受けて、ますます高まった。

それにしても、漢文・漢詩の美的あるいは稀有壮大な表現の根底に「中国の汚穢」環境があったことは、なるほど皮肉なことだ。

 

石川九楊自伝図録 わが書を語る

石川九楊自伝図録 わが書を語る

  • 作者:石川 九楊
  • 発売日: 2019/08/23
  • メディア: 単行本
 

 

草森紳一から副島種臣へ、そして石川九楊へ。石川九楊は、『石川九楊自伝図録』(左右社,2019)において、第三章で「副島種臣の発見」の項目を掲げ、

「『墨美』で副島種臣に出会った時も驚きました。特に「積翠堂」「洗心亭」と書かれた扁額の、想像することさえなかった筆蝕の振幅と奇想の展開には驚嘆した。・・・(中略)・・・副島はなぜこんな、仕掛けにあふれた一種異形の書を書くことができたのか。その秘密は、極限までゆっくり書くことにあります。」(078~079頁)

 

と述べている。 

それにしても、草森紳一副島種臣の清国漫遊に「薔薇香處 副島種臣の中国漫遊」と付したのは、「汚穢の都」における香り(糞尿等の)に「薔薇の香り」を当てたという、シニカルで見事なタイトルになっている。

 

以上は、副島種臣を介して、草森紳一石川九楊がつながることを遅ればせながら発見した経緯の覚書である。

草森紳一著『副島種臣(仮)』の出版が期待される所以でもある。

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薔薇香處

 

 副島種臣の延長上に、河東碧梧桐がある。

河東碧梧桐―表現の永続革命

河東碧梧桐―表現の永続革命

 

 石川九楊は、埴谷雄高吉本隆明ドストエフスキーを「書」として表現している。それはまたの機会に書きたい。

 

書 文字 アジア

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