イタリア映画界の異端児 アゴスティの世界


イタリア映画といえば、ロベルト・ロセリーニ、ルキノ・ヴィスコンティフェデリコ・フェリーニなどの巨匠監督がただちに想起されるけれど、寡聞にしてシルヴァーノ・アゴスティなる作家名を初めて聞いた。


イタリア・インディーズ系の映画監督にして作家であり、『1日3時間しか働かない国』(マガジンハウス,2008)『罪のスガタ』(シーライト・ハブリッシング,2010)、『見えないものたちの踊り』(シーライト・ハブリッシング,2011)の小説が翻訳されている。


誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国

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見えないものたちの踊り (オンデマンドブックス)

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  • 作者: シルヴァーノ・アゴスティ,野村雅夫,大阪ドーナッツクラブ
  • 出版社/メーカー: シーライトパブリッシング
  • 発売日: 2011/11/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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さて今回、映画監督アゴスティ特集として、6本の作品が上映された。
製作順に

  • 『快楽の園』(1967年)
  • 『天上の高みへ』(1976年)
  • 『クワルティエーレ 愛の渦』(1987年)
  • カーネーションの卵』(1991年)
  • 『人間大砲』(1995年)
  • 『ふたつめの影』(2000年)が上映された。

同時上映として、監督の日常を捉えたドキュメンタリー作品である『シルヴァーノ・アゴスティ、見えないものを見る人』(パオロ・ブルナット監督,2003年)から、監督の素の部分が見える。監督自身が、自ら映画館を運営し、映画製作も配給会社に支配されることなく、自由に映画を撮る姿勢や、日常性を捉えている。



それぞれ映画のタイトル前に、フリッツ・ラングメトロポリス*1の映像を背景に「商業映画と距離をおくために」の文字が刻印される。


『快楽の園』
冒頭に、ボシュ『快楽の園』(プラド美術館所蔵)の絵画が提示され、この映画が「快楽からの誘惑」をテーマにしているだろうことが窺える。
モーリス・ロネとイヴリン・スチュワート扮する新婚カップルの間には、不協和音がある気配がする。妻は妊娠しており、やむを得ず式を挙げたことが、画面を通して明白に示される。倦怠の気分が漂うモーリス・ロネは、ホテル内の向かい側にある部屋の女性から誘惑されると、新婚であるにも拘わらず、容易にその気になってしまう。少年時代の回想などから、性格は変わりようがないこと。妻との関係に落ち着かない気分が、幻想あるいは夢のようなかたちで表現される。モーリス・ロネ出演のせいか、ルイ・マル作品のイメージがつきまとうが、この長編第一作に、アゴスティ的要素すべてが内包されていることに驚く。


『天上の高みへ』
地方からの団体がローマ法王に謁見するために、ヴァチカンにやって来る。14名のメンバーは、マルキストの修道士、労働組合の役員、医者、看護士、少年・少女たち。彼らは法王への贈り物を持ち、エレベータに乗り込む。ここまでは、バチカン内部の雰囲気や荘厳で宗教的雰囲気に満ちている。ところが、エレベータの様子がおかしい。上昇しているが到着する気配はない。密室のなかで、次第に人間の本能的な営為が出され、14人すべてが<死>に直面する。恐るべきフィルム。
もしも、エレベータが故障せず、順調に法王に謁見することが出来た場合を、エンディングに持ってきていることにも、人間がふとした状況の変化で、大きく変貌することを示唆している。


カーネーションの卵』
監督自身の少年期を回想する形で、戦時下の光と影を、少年の眼をキャメラとして描いている。北イタリアの田舎町。ナチス支配下で、ムッソリーニの胸像が町の中央に配されている。ファシズムへの協力者と、パルチザンのせめぎ合い。過酷な環境の中で、少年シルヴァーノの立場から、家族それぞれの様子や周囲の人々が、一種幻想的に描かれる。
アゴスティ作品のなかで、最も美しく、小年少女の心象風景を捉えていて秀逸である。


『人間大砲』
サーカスで、「人間大砲」として打ち上げられ、安全網に落ちる銃弾男。新しく助手となった女性イヴリンに恋をしてしまう。サーカスという幻想空間は、フェリーニを想起させるが、本作は、空中に浮かぶ女性(タルコフスキー『鏡』)や、空中浮遊するサーカス団員がテーマに関連している。
作品中、マルクスと称する道化師が、エイゼンシュテイン『イワン雷帝』『ストライキ』や、本作が捧げている「芸術としての映画」発明者ジョルジュ・メリエスの『トルコの死刑執行人』『マジック・ランタン』、オースン・ウェルズ『審判』*2が引用され、人民の歴史が語られる。全体として幻想的なフィルムであった。


『ふたつめの影』
精神病院を解体したバザーリアにオマージュを捧げているラディカルなフィルム。冒頭、用務員に扮した新院長は、精神病院内の恐るべき実態を目にするシークエンスから導入され、映画の製作意図が明確に示される。拘束、電気ショックの繰り返しなど、患者の人間として扱わない精神病院を、赴任まえに調べた実態を強引に改革して行く新院長の行動が、その後のイタリアにおける精神病院の撤廃をもたらしたことに繋がる。病室から野外へ出る患者たちの解放感は、病院の壁を破壊するところで高揚する。解放後、野外で長大なテーブルに座る患者たちの顔に晴れやかな誇らしさが伺える。
実際に入院していた元患者たち多数が出演しており、唯一リアリズム的なフィルムとなっている。日本の精神医療世界が、如何に遅れているかを知らされる。


以上、アゴスティの作品を延べ2週間に亘り、観ることができた。アゴスティのフィルム配給は、すべて大阪ドーナッツ・クラブが配給している。東京以外に、フィルムを配給するシステムになっていない状況での、この試みは、大いに評価されて良い。


書物の出版に関しても、ほとんど東京中心だが、それでもわずかながら地方小出版社は活躍している。しかし、映画に関してはすべてが東京からの配給であった。映画界の流通システムに風穴をあけた点でも「大阪ドーナッツ・クラブ」の健闘を称えたい。


これまで、アゴスティ映画特集上映されたのが、ホームページで確認すると、京都、大阪、名古屋、神戸、東京(吉祥寺バウシアター、2011年12月)、広島、松山であり、2012年3月には東京(下高井戸シネマ)で開催される。今後は、全国に順次公開されることが期待される。


シルヴァーノ・アゴスティ。何故、タルコフスキーやキシェロフスキに匹敵する作家が、日本で公開されなかったのか。特集上映を観ることによって、彼の映画作品のなかに問題の本質が隠されていることを知るだろう。

*1:フリッツ・ラングメトロポリス』(1927)の、アンドロイドが女性の顔に変化する著名なシーンを背景に使用している。

*2:ヨーゼフ・K(アンソニー・パーキンス)が、多くのビジネスマンが机に向かい仕事をしている、天井がみえる広大な空間を、急ぎ足で歩き抜けるシーンが引用されている。