ブロークン・フラワーズ
ジム・ジャームッシュの七年ぶりの長編『ブロークン・フラワーズ』は、短編の集積であった前作『コーヒー&シガレッツ』の「幻覚」で出演したビル・マーレイを、老いたドンファン役に配し、自らの過去に遭遇せざるをえない設定にして、20年前に別れた女性四人に会う旅に出る物語だ。
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中年を過ぎても独身のままであることに愛想をつかした同居人ジュリー・デルピーが、まず、ビル・マーレイの家を去る。隣家のジェフリー・ライトは、子沢山の幸せ家族。無表情のビル・マーレイのもとに、ピンク色の封筒が届き、19歳の息子がいることが書かれていた。
ジェフリー・ライトにその気にさせられたビル・マーレイは、息子の存在を確認するために、四人の女性に出会う旅にでる。別れたジュリー・デルピーを始め、女性五人は錚々たる美人揃い。まずは、セクシーな娘と二人暮らしのシャロン・ストーン。夫と二人で不動産の販売をしているフランセス・コンロイ。動物セラピストで独身のジェシカ・ラング。バイク族の仲間と集団生活するティルダ・スウィントン(黒髪に変身していた)。昔の恋人たちで歓迎したのは、最初のシャロン・ストーン母娘だけで、あとは、どうも白けた雰囲気のなかで、会話が交わされる。
場所の移動は、飛行機とレンタカー。ワンショットがいつものジム・ジャームッシュ風スタイルになっていて、楽しい絵だ。しかし、彼女たちとの出会いからは、結局、何も得られない。一見、手がかりらしい、タイプライターやピンク色の紙などそれらしきヒントを、観るものに与えはするが、何も起きない、起こらない。唯一、息子らしき青年と会話を交わすラストに、辛うじて老ドンファンの人生に変容の兆しが見えそうだが、棒だちのマーレイを360度回転するキャメラが捉えるシーンでは、孤独な中年の男の未来が暗示されているようだ。
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ジュリアン・デュヴィヴィエ『舞踏会の手帖』(1937)という映画があった。老いた女性マリー・ベルが、かつて相手をした紳士たちを訪れるが、人生に疲れた男たちの末路を見せる趣向であったが、『ブロークン・フラワーズ』では、そのような人生論などとは無縁だ。無表情のマーレイに対して、女性たちはそれぞれの表情を見せる対照的なシーンが、並列される。
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ジム・ジャームッシュを一躍有名にした『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984)は、ニューヨークが、未知の風景として眼前に展開する。ハンガリーから移住してきた青年のもとに同郷のいとこの少女がやってきて同居する。やがて少女は、叔母の住むクリーブランドに移る。青年とその友達は、賭博で儲けた金を持って少女のもとへ尋ねて行く。冬のエリー湖は降りしきる雪で何も見えないし、三人が遊びに行く常夏のリゾート地フロリダは、荒涼とした不毛の地にしか見えない。私達が見知っているはずの土地や風景が、ジャームッシュの手にかかれば、まったく異質の光景として眼前に展開するのである。風景を異化すると表現すればよいのだろうか。ジャームッシュ的世界の三人の関係はどこまでもクールであり、いわば即物的でさえある。抑制された人物の関係は、静かなユーモアをかもし出すしていた。
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三人の関係の構図は、『ダウン・バイ・ロー』(1986)においてより徹底化される。舞台はニューオーリンズに変わるが、無実の罪で投獄された男二人にイタリア人=ロベルト・ベニーニが中心に介在することで、軽快なコメディになる。期待とか予想はことごとくはぐらかされる。まず、いともあっけなく三人は脱獄に成功し、ルイジアナの沼沢地帯に逃亡する。ボートに乗り河を渡るシーンの圧倒的な美しさはモノクロームの撮影ならではの抒情あふれる光景であり、秀逸。しかもラストに至りメルヘンと呼ぶにふさわしい偶然による幸福な結末が用意されている。映画的な荒唐無稽さが不自然ではなく見る者を納得させる。
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『デッドマン』(1995)は、都市からきた会計士ジョニー・デップが、胸部に弾丸を受け、西部を彷徨いながら、ノーボディと称するネイティヴ・インディアンに導かれ儀式としての緩慢な死を受け入れて行く。ある意味では形而上的な詩であると同時に、西部劇へのアイロニーとしても読むことが可能な上質のコメディとして成立している。汽車の旅で始まる冒頭から、モノクロの画面は、ただならぬ気配が感じられ、ゆったりとしたリズムでフェイド・アウトを繰り返すうちに見る者は、次第にスクリ−ンの中に引き込まれてゆく。会計士を雇った経営者がロバート・ミッチャムであり、突発的に自分の息子ガブリエル・バーンが射殺されたために、会計士に三人のガンマンと双子の保安官を差し向ける。 会計士ジョニー・デップには、ウイリアム・ブレイクという名前が与えられているため、ネイティヴのノーボディが有名な詩人本人と勘違いをする。会計士を死者と思いこんでしまうことが、死への<儀式としての旅>のはじまりとなる。
西部の森のなかを、馬に乗り、追手のガンマンと渡り合ったり、双子の保安官らと対決したりしながら、会計士は次第に死を自然として受け入れて行く。馬からカヌーに乗り換え、ついには大海に漂う。生真面目な悲劇性として死を描くのではなく生の延長上に死があり、自然=魂の故郷に還ってゆくことを淡々としたリズムで、捉えて行く。ジム・ジャームッシュが、はじめて『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を超える傑作を撮った。
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最新作『ブロークン・フラワーズ』は、カラー長編として、『ミステリー・トレイン』(1989)や『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991)と比較されるが、短編オムニバスという形式を、一変させた点で、また、物語的な構成がこれまでのフィルムとは、決定的に距離を置く。クールな主人公は、ジャームッシュ的世界のイコンであるけれど、初期の二作をを超える意味では、『デッドマン』と並ぶ傑作となっている。
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