蔵書を残すこと


一般的には、学者・研究者・趣味人・文士などは、死してのち蔵書を残す。その蔵書構成を見れば、その人の関心領域などを覗うことができる。ある知り合いの学者が亡くなられ、未亡人から蔵書を見せていただいた。学説史研究が専門であったので、当該分野の基本的全集・シリーズものが多い。その他には、岩波の「古典文学大系」や「日本思想体系」、「世界の思想」や学説史関係の個人全集などが、収蔵されていた。


蔵書数のわりには、稀覯書にあたる資料がほとんどない。もちろん、文学者ではないので、初版本もない。いわば、学者の一般的・典型的な蔵書構成を見せていただいたわけである。未亡人は、古書店に売却する意思はない、とのことであった。たしか専門書を古書店に評価して貰っても、数千万円で購入した本が、100万円にも満たなかったという声を聞いたことがある。


私は、稀覯書のコレクターでもないし、学問的な専門家でもない。それでも、本は増える一方だ。買い求める本のうち、どれだけ読み込んでいるか、恥ずかしい。


随筆 本が崩れる (文春新書)

随筆 本が崩れる (文春新書)

最近入手した草森紳一『随筆 本が崩れる』には、本好きが首肯することばがある。

本はなぜ増えるのか。買うからである。処分しないからである。したがって、置き場所がなくなる。あとで後悔するとは知りつつ、それでも雑誌は棄てる。大半は役に立たぬと知りつつ、単行本を残してしまう。役に立たぬという保証はないからだ。(p.29)

資料収集でなくとも、読書家いや習慣読書人とでもいえばいいのだろうか。本好きの人にとっては、他人事ではない。本を買うのをやめよう、と何度思ったか。その都度、書物を取れば私から何が残るのか。かくて、積読用の書物は増殖しつづけている。草森紳一の足元にも及ばぬが、狭いわが家の廊下にまで、書物が溢れはじめた。稀覯書などない。雑本の類だ。


買って置いて、読むべき本、読みかけの本、未読の本が氾濫することになる。それらをリストアツプすることは、日記ではないので、遠慮しておく。


だだ、近々に言及したい本のみ、以下に列挙しておく。いずれも読みかけの本。


宮台真司北田暁大『限界の思考』(双風舎

双風舎」のような小さな出版社が健闘している。「まえがき」「あとがき」と本文を50頁ほど読んだところ。刺激的で、面白い。

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学


四方田犬彦ブルース・リー』(晶文社

ついに出た、ブルース・リー伝記の決定版。怪鳥音「アチョー」は世界的言語だ。

ブルース・リー : 李小龍の栄光と孤独

ブルース・リー : 李小龍の栄光と孤独


大江健三郎『さようなら、私の本よ!』(新潮社)

『取替え子』『憂い顔の童子』につづく三部作。読まねば・・・

さようなら、私の本よ!

さようなら、私の本よ!



内田樹『街場のアメリカ論』(NTT出版)

構造主義の常識に根拠づけられた「おじさん」のアメリカ論。

街場のアメリカ論 NTT出版ライブラリーレゾナント017

街場のアメリカ論 NTT出版ライブラリーレゾナント017


荒川洋治『ラブシーンの言葉』(四月社)

荒川洋治の「ことば」が好きだ。「四月社」、ん?聞いたことがない出版社だ。

ラブシーンの言葉

ラブシーンの言葉


・ジョン・D.カブート編
ジャック・デリダデリダとの対話』(法政大学出版)

原題は「脱構築を一言で!」。簡単には理解しがたいが、不用意に使用される便利なことば「脱構築」。読書中だが、集中する時間がない・・・あぁ

デリダとの対話―脱構築入門 (叢書・ウニベルシタス)

デリダとの対話―脱構築入門 (叢書・ウニベルシタス)


それにしても、時間がない。なぜかこのところ出張が多い。「すまじきものは宮仕え」か。生活には換えられぬ。