坪内祐三にサヨウナラ、はまだ早い
みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。
坪内祐三追悼特集雑誌が二冊刊行された。『本の雑誌2020年4月「さようなら、坪内祐三」』(本の雑誌社,2020)と『ユリイカ総特集坪内祐三』(青土社,2020)だ。
坪内祐三の新著作(と言っても編集は出版社)が、この6月下旬に二冊刊行された。
『本の雑誌の坪内祐三』(本の雑誌社、2020.)と『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』(幻戯書房、2020)である。
まず『本の雑誌』2020年4月「さようなら、坪内祐三」に多くの関係者が、追悼文を寄稿している。その中で気になったのが四方田犬彦「緑雨になれたはずなのに」の最後の文章から引用する。
わたしは彼が同業者を何人か集めて、タクシー会社の宣伝のような雑誌を拵えたとき、これはダメだと思った。群れなどなしていては、いい批評など書けるわけがないからだ。ちょっと可哀想なことを書くようだが、新宿の狭い「文壇」とやらに入り浸って、英語の本を読む習慣を忘れてしまったのは、彼の凋落の始まりだったような気がしている。(68頁『本の雑誌2020年4月』)
その前には以下の期待が記されている。
わたしは、・・・(中略)・・・今の世の斎藤緑雨になれるかもしれない。そう期待してみた。(68頁『本の雑誌2020年4月』)
多くの友人、知人が追悼の意を表している文章のなかで異色の文だ。斎藤緑雨になって欲しいと思うかどうかは、見解が分かれるところだが、雑文量産よりもしっかりと評論を書き残して欲しかったと、小生も思う。生前最後の著作が『テレビもあるでよ』( 河出書房新社,2018)では少しさみしい。
『ユリイカ総特集坪内祐三』(青土社,2020)はかなり厚く、より多くの知人・友人たちが寄稿している。
『本の雑誌』で、平山周吉(小津映画で笠智衆が演じた役名と同じ)が、「坪内祐三の10冊」を取り上げている。
『ストリートワイズ』(晶文社,1997)
『慶応三年生れ七人の旋毛曲り』(マガジンハウス,2001)
『古くさいぞ私は』 (晶文社,2000)
『文庫本宝船』 (晶文社,2016)
『昼夜日記』 (本の雑誌社,2018)
『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』(新潮社,2005)
『東京』 (太田出版,2008)
『昭和の子供だ君たちも』 (新潮社,2014)
『後ろ向きで前へ進む』 (晶文社,2002)
『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない』(幻戯書房,2018)
私は重複を避けて五冊にしたい。発売順に、
『「別れる理由」が気になって』(講談社,2005)
『極私的東京名所案内』 (彷徨舎,2005)
『考える人』(新潮社,2006)
『探訪記者 松崎天民』(筑摩書房,2011)
『父系図 近代日本の異色の父子像』(扶桑社,2012)
編集者としての坪内氏は、
『明治の文学』(筑摩書房)全25巻を評価したい。
坪内氏の作品は、東京に関するものが多い。『東京』 (太田出版)などは、東京の地名に絡めた、著者自身の一種自叙伝になっている。
『風景十二』( 扶桑社)は場所(図書館など)に絡め、著者の記憶が係わる。その点では、『極私的東京名所案内』の<極私的>タイトルが、内容的には<歴史的文学史・東京>に関する記述であり、貴重な書物だ。
『「別れる理由」が気になって』は、私的にはベスト著作であり、理由は拙ブログで既に言及している。
『考える人』は、著者好みの作家批評家が取り上げらていて、好著だと感じる。
『探訪記者 松崎天民』はあまり知られていない明治のジャーナリストの生涯を辿る稀書だといえよう。
『父系図 近代日本の異色の父子像』は、淡島椿岳・寒月親子に始まり、内田魯庵・内田巌、・・・・九鬼隆一・周造など12組の親子像を示す貴重な仕事だった。
さて新刊の、本の雑誌社刊行『本の雑誌の坪内祐三』は、巻末の「坪内祐三年譜」(川口則弘作成)が、氏の様々なエピソードを引用しながら、月別あるいは日別に構成されていて、優れて面白い読み物になっている。
『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』は、跋文を書いている平山周吉(またまた小津)が、紹介しているように幻戯書房の名嘉真春紀氏の企画により実現した没後の出版物である。内容は、「文壇おくりびと」「追悼の文学史」「福田章二と庄司薫」「雑誌好き」・・・「平成の終わり」によって構成されている。いかにも坪内祐三の文章が並べられている。
一種、追悼のために編纂された書物のようだ。
『文庫本宝船』の「あとがき」で次のように出版状況について触れている。7年前の『文庫本玉手箱』でも同じように記していたが、「出版不況」は変わらない。
この七年間で出版をめぐる情況は、まったく好転していません。・・・(中略)・・・かつて私の本は増刷が当たり前、三刷、四刷になることもありました。しかし、ここ十年ぐらい私の本は常に初版どまりです。・・・この連載を千回続けたい。(714~715頁『文庫本宝船』)
『週刊文春』の「文庫本を狙え!」の連載が1000回を超えている。最後の回まで収録した『文庫本〇〇』を連載元の文藝春秋か、あるいは本の雑誌社で発行されるこを期待したい。『文庫本〇〇』の発行や、単行本未収録の原稿を書籍化して欲しい。坪内氏にサヨウナラするのは、それからでも遅くはない。
【追記】(2020年6月28日)
『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』の中で、「福田章二と庄司薫」に新鮮な味わいを持った。
福田章二は大学生の時に「喪失」で中央公論新人賞を受章した。江藤淳は「新人福田章二を認めない」で全否定した。福田章二は、『駒場文学』に「喪失」の初出原稿を掲載している。その初稿を書き改めて『中央公論』に応募したわけだ。初稿はのちに芥川賞を受賞する『赤頭巾ちゃん気をつけて』を彷彿させる口語的文体であった。福田章二は文学を<らせん状>に考え、改稿した「喪失」を提出したのだった。
歴史的に回顧すれば、庄司薫は青春文学の古典を書いたと評価されよう。「喪失」とその初稿、そして10年後の「赤頭巾」に至る背景を、坪内氏は明快に解説している。
もうひとつ「厄年にサイボーグになってしまった私」では、坪内氏は自分の死生観に「殆ど関心がない」と記し、
二十一世紀に入ろうとする時頃、二〇〇〇年暮、私は新宿で事故に遭い、死にかけた。・・・(中略)・・・三度の手術(その内一度は顔の手術)を経て復活した私はまるでサイボーグのようになってしまった。・・・(中略)・・・私は既にあの時、死んでしまったのかもしれない。(365~367頁)
と書いていた。この箇所は坪内氏が、自分の<死>を予感していたような記述だ。
レスコフは義人の物語作家であるとベンヤミンは評価した
左利き 髪結いの芸術家
群像社のHPを見ていたら、ブーニン作品集4『アルセーニエフの人生』(2019)に刊行されていたことを知り、更に、レスコフの短編集新訳二冊『左利き』『髪結いの芸術家』が、「レスコフ作品集1,2」として2020年2月に発行済であることを知り、早速、これらの三冊を取り寄せ入手した。
また、東海晃久訳『魅せられた旅人』(河出書房新社,2019)も昨年末に新訳として出版されていたことを遅れて知った。
レスコフは、ベンヤミンによる「物語作者ニコライ・レスコフの作品について」*1の結末で「物語作者ーそれは、自分の生の灯芯をみずからの物語の穏やかな炎で完全に燃焼し尽くすことのできる人間のことだ」と捉え、スティーブンソン、ポーと並びレスコフを評価し、「物語作者とは、義人が自分自身に出会うときの姿なのである」と結んでいる。「義人」とは、「レスコフの被造物たちの列を率いる人間たちもメールヒェン的に抜け出ている。それはすなわち義人たちである」と17章で規定している。
さて『左利き』を、「左利き」「老いたる天才」「ニヒリストとの旅」「じゃこう牛」の順で読む。たしかに語りの文学だ。「じゃこう牛」とあだ名が付せられた男は、ギリシア正教派への反発者だったことが彼の自死により明らかにされる。友人が物語る話だが、「じゃこう牛」ことワシーリイ・ペトロ―ヴィチは<義人>と捉えられる。
「左利き」は「ぎっちょ」として東海晃久訳『魅せられた旅人』にも採録されている。左利きの鉄砲鍛冶職人が見事な腕前で蚤の模型に蹄鉄が撃ち込まれている作品を作る。そのおかげでイギリスに外遊を許され、イギリスの鉄砲改良を発見し、帰国後ツァーリに報告しようするが、阻まれ病死する。<義人>伝説の典型的物語。
『髪結いの芸術家』は、「アレクサンドライト」「哨兵」「自然の声」「ジャンリス夫人の霊魂」「小さな過ち」と「髪結いの芸術家」が収録されている。
「髪結いの芸術家」は、作者が子供のころ、弟の乳母だった老女からの聞き書きの形で語られる、若き日の駆け落ち未遂の顛末だった。ほぼ全ての作品が、私あるいは誰かが、聞き書きのように語りを記録している。その語り口が見事な物語になっていて、読む者は引きずり込まれる。まさしく、ベンヤミンが、早々に読み取っていたことである。老女が若き日に駆け落ちしようとした相手の髪結いの若者は、自己を犠牲にして女性を助ける。老女はその忘れられない思い出を著者に語る。髪結いの若者こそ<義人>にほかならない。また、「哨兵」は他者の命を救うことで自分を破滅させた<義人>を描いている。
そういえば「ムチェンスク郡のマクベス夫人」(『真珠の首飾り』に採録)も語りで始まっていたことを想起した。ただし、セルゲイと商人の妻カテリーナ(マクベス夫人)の行路は<義人>の定義から逸脱しているが、物語の深さに圧倒される異色の作品であった。
ベンヤミンの<義人>説を確認するためには、レスコフ作品の翻訳が少ない。今回、群像社から二冊、計10編の短編が翻訳出版されたが、19世紀ロシア文学の系譜から距離を置くレスコフの全貌が見えるような環境が整う必要があるだろう。
群像社へのお願いとして、未刊の『ブーニン作品集・第二巻』と、「レスコフ作品集」の続編の刊行を期待したい。
彼岸と此岸をつなぐ古井由吉の<ことば>
神秘の人びと
古井由吉の『神秘の人びと』(岩波書店,1996)は、『仮往生伝試文』の西洋版であり、私は、中世西洋の修道院の人びとによる神秘体験を興味深く読んだ。マルティン・ブーバー編纂の説教集や、マイスター・エックハルトの説教集のドイツ語訳を、引用しながら自在に、古井由吉の言葉に変換しているところなどいかにも、古井由吉版『西洋往生集』になっている。
古井由吉に関して、文芸雑誌を三冊すなわち『群像』『新潮』『文學界』5月号を購入した。文芸雑誌を三冊まとめて買い求めること自体かつてないことだ。もちろん、「古井由吉追悼特集」を読むためである。
安藤礼二「境界を生き抜いた人 古井由吉試論」(『文學界』)と、富岡幸一郎「古井由吉と現代世界ー文学の衝撃力」(『群像』)、二つの古井由吉論が参考になった。安藤氏は、古井由吉が<死の臨界>に迫ったことを文学的達成と評価し、富岡氏は古井由吉の『楽天記』が、<文学の黙示録>であると賞賛している。
雑誌三冊に寄稿しているのは、蓮實重彦のみだ。東大教養学部の同級生であり、立教大学教員時代の同僚という立場からである。蓮實重彦が評価するのは、『水』『白髪の唄』『辻』の三作であることを明言している。
蓮實重彦は、『仮往生伝試文』には、「文中に「ブイヤベース」の一語がまぎれこんでいることが、耐えられなかった」と記す。
「十二月五日、土曜日、曇り」の断章には、「なぜだか、昨夜の宿の食卓でとても食べきれなかった、ふんだんの量のブイヤベースのにおいが鼻の奥にひろがった」という文章でまともな古井由吉ならこの南仏料理をしかるべき単語に置き換えていたはず」と確信し、「この作品は正当化されがたい長さにおさまるしかなかった」と批判している。
本文を確認すると、「物に立たれて」と題する章で、文庫版では266頁に該当箇所がある。
そもそも『仮往生伝試文』は、古典の引用と、作者自身の日記と思しき記録の絶妙の組み合わせによって成立している。しかも「物に立たれて」は、「十二月二日 水曜日 晴。」から始まる、例外的な手法になっている。「物に立たれて」は、男が突然不在となること、一家の主人がある日忽然といない、そんな雰囲気の様子を、日記の日付けから始まる書き方をしている。
蓮實重彦が指摘しているのは、南仏の記憶を記した日のことで、「ブイヤベース」という言葉への自らの嫌悪感を述べているに過ぎない。元来この小説の趣向は、古典と現代の交錯の中に、人びとの「往生」を描いていることに注目すべきで、一つの単語への執拗なこだわりから、人の往生の在り方を描く作品の大いなる意図を読み込んでいるのだろうかと疑問を禁じ得ないところだ。
話を『神秘の人びと』に戻そう。エックハルト説教集などからの翻訳・引用に、古井由吉独自の視点から抉り出す修道僧たちの神秘体験は、中世という時代にもかかわらず、きわめて緊迫した神との合一に至る苦痛にも恍惚たる法悦を受容しているような告白は、驚くべき内容だった。古井由吉氏の関心が、何処にあるかがよく分かる書物になっている。もうひとつの『仮往生伝試文』と言えるだろう。
小説は難解だが、エッセイは読みやすい。小説の<ことば>は生と死をつなぐものになっている。いわば、此岸と彼岸の往還である。『神秘の人びと』は、彼岸へと向かう修道士たちの神への合一の段階的変容の経過を記している。
とりわけ語り口調の『人生の色気』には、古井由吉氏の考えが披歴されている。またエッセイ集『楽天の日々』は、充実した作品群でもある。
古井由吉氏の訃報は、近現代文学の終わりを告げる
古井由吉氏の訃報
新型コロナウイルスのパンデミック的感染拡大により、報道はこの武漢発生のウイルス一色となっている。この間、日常的な外出を控え、読書に集中していた。
古井由吉の訃報が小さく扱われていた。2月18日他界されたとのこと。
近現代文学の最高峰とも称される文学者・古井由吉氏の死は、現代文学の終焉を象徴している。
『杳子』で芥川賞受賞する。その前に、大学教員を辞職し、筆一本に専念している覚悟が凄い。処女作「木曜日に」を書き、その美文的な文体は、既に後の作品群を予感させるものであった。
鈍色にけぶる西の中空から、ひとすじの山稜が遠い入り江のように浮かび上がり、御越山の頂を雷が越しきったと山麓の人々が眺めあう時、まだ雨雲の濃くわだかまる山ぶところの奥深く、幾重もの山ひだに包まれて眠るあの渓間でも、夕立ち上がりはそれと知られた。(7頁「木曜日に」『古井由吉集』)
「木曜日に」の冒頭を引用したが、『新鋭作家叢書 古井由吉集』の解説で、川村二郎は「古井由吉は美文家である」と規定している。しかもその美文は、「その古風さを、ぼく(川村)は現代作家古井由吉の美徳に数えたい」と称え、「外と内が分かちがたくなっている」と評価する。この川村氏の指摘は、その後の作品に一貫した手法として続いていることに驚嘆しないわけにはいかない。
古井氏の作品は、明晰な文体が難解さを誘う。小説のストーリーを紹介するなど野暮となる。
古井氏の作品について、全てを読んできたわけではない。初期の『円陣を組む女たち』『杳子・妻隠』から『行隠れ』あたりまで、刊行と同時に入手し、伴走していた。しかしながら、その後しばらくは刊行を横目でみながら、購入も読むことも控えていた。
突然の驚きは、『仮往生伝試文』(河出書房新社,1989)の出現だった。
古典類の「往生伝」から引用し、それを作者=古井由吉が解釈する、続いて日付入りの記録。これが小説なのだろうかと思うような構成になっている。
往生を巡り、時間・空間を超越し、言葉が行き来する。おそるべき試み。すなわち「往生伝」に関する仮の「試文」となっているのだ。
この作品を分水嶺として、『野川』あたりから私小説風の言葉に、随想が混入して一種独得の世界を表現してきた。
古井由吉の言葉を借用すれば古井氏は、「聖譚」を書いてきたことになる。大江健三郎との対談において次のように語っている。
作家の意思の問題ではなくて、小説を書くことに常に内在している。小説というのは、どんなに暗澹とした解決不能なことを書いても、おのずから形が聖譚に寄っていく(27頁『文学の淵を渡る』)
現在、著者生前最後に刊行された『この道』を読んでいるが、老いてきた作家が、小説の中に戦中の体験や、若くまだ作家になる前の話や、著者の住むマンションの外装の工事あるいは、著者が入院した時のことなどが、混然と描かれる。文章は、「文体の作家」の栄誉にふさわしく、何処を切り取っても明晰な文体になっている。
ところが、全体のストーリーをたどれない。いや梗概を書くことなど意味がないような作品になっている。換言すれば、読むことでしか、古井由吉の世界に参入できない、そのような世界なのだ。
古井由吉の文体は、小説一般が過去形で書かれているのに対して、つねに現在進行形の文体が試みられている。もはや、古井氏のような作家は出現しないだろう。古井由吉の死とは、近現代文学の終焉を意味する。
とまれ、『新潮』掲載の「雛の春」に始まる「われもまた天に」「雨あがりの出立」の連作短編と未刊の「短編」やエッセイなどの刊行が待たれる。
初期作品から、『仮往生伝試文』『野川』にとび、『この道』を読むところまできたが、以下の未読作品が待ち受けている。とりあえずの、記録である。
古井由吉の待機作品
パラサイト 笑えないブラックユーモア
パラサイト 半地下の家族
アカデミー賞、作品賞、監督賞(ポン・ジュノ)、脚本賞、国際映画賞の4部門を受賞した『パラサイト』を見た。ポン・ジュノ監督作品では、『殺人の追憶』『母なる証明』の2本を見ているが、その過去の作品と比較しても、特に『パラサイト』が優れているとは思えなかった。
拙ブログでは、2009年ベストテン1位に、『母なる証明』をあげ、2004年は『殺人の記憶』を4位にしている。それだけ、小生の中では、ポン・ジュノを高く評価していた。
今回の『パラサイト』は、半地下に暮らす4人家族が、長男チェ・ウシクの家庭教師に続き、美術教師として妹パク・ソダムを送り込み、社長の運転手の替わりに、父親ソン・ガンホが続き、最後に家政婦として母親キム・チュンスクが寄生することになる。
上流階級の社長イ・ソングュン、夫人チョ・ヨジョン、長女チョン・ジソ、長男の描き方もステレオタイプで、いかにもありそうな設定であり、取り立てて発想が優れているとは思えない。半地下に住む家族は、個性的に描かれる。
父親役ソン・ガンホは、韓国映画では著名な俳優で、地下室特有の匂いを放つ。運転手をしながらも、IT社長の行動を把握し寄生して行く。
前半のここまでは、半地下家族によるブルジョワ家族へのパサイト=寄生の様子が、実に自然に行われている。このあたりまでは、実に面白い。
ところが、ブルジョワ家族がキャンプに出たあと、半地下家族は乱痴気騒ぎに興じていたところへ、解雇された家政婦の訪問により、実は地下に家政婦イ・ジョンウンの夫が住み着き、4年になるという衝撃の事実と、家政婦の夫の狂暴さが、コメディ調から、バイオレンスに転じる。
富豪家族がキャンプから引き揚げて、早々に帰宅するのは、豪雨のためで、半地下家族の自宅は浸水被害を受け、体育館に避難する。一方、富豪の家は高台にあり無事であるのは当然のことだった。
その後、富豪社長邸では、パーティが開かれる。インディアンゲームでは、妹の美術教師役のパク・ソダムがケーキを持って現れると、長男でこどものダソンがインディアンに扮した父イ・ソンギョンと、半地下の父ソン・ガンホに襲われて、という設定が地下室の男の出現により、修羅場へと変貌する。
まず、半地下の妹パク・ソダムが刺され、母キム・チュンスクが、狂気の男を刺し返す。更にソン・ガンホは、富豪社長を刺し殺すという残酷な結末に至るが、その後ソン・ガンホは地下室に逃亡し、行方不明を装う。
このあたり、半地下と地下という下層階級同士の闘争を見せることで、単純に格差を浮かび上がらせるより、階層差別が、韓国内の深刻な現実であることを露呈する。
地下の男によって頭に衝撃を受けた長男チェ・ウシクは、新しく住む家族を山中から眺め、父親がモールス信号で、家族に伝言していることを知る。そしてチェ・ウシクは、金をためその家屋を買い取り、母キム・チュンスクとともに、地下のソン・ガンホを助け、豪邸に住む・・・それは依然として半地下に住み続けるチェ・ウシクの夢にほかならなかった。
いわば格差社会の反撃の映画ともなっている。その反撃は、しかしながら、結局中途半端に終わることになる。
ブラックユーモアというより、階級差が生み出す悲喜劇として、笑い飛はすことができないアイロニカルなフィルムに仕上がっている。アカデミー賞関係者が、韓国の格差の実態をどこまで理解しているかは別として、社会に潜在する格差と闘争をブラックユーモアとして捉えた評価が一般だと思うと、一種複雑な思いが錯綜する。
格差問題は韓国だけではない。グローバルに拡大する格差は、もちろん日本にもアメリカにも存在する。日本映画が、国際的評価を受けるためには、高校生の恋愛ものが多く製作される現場を支配する雰囲気があるのかも知れないが、製作する映画の傾向があまりにもガラパゴス状態に陥っていることからの脱出が望まれる。
是枝裕和監督『万引き家族』が国際的評価を得たのも、社会からこぼれ落ちる人達への視点がしっかりして揺るぎがないからと考える。
日本映画が、かつて小津・溝口・黒澤など、固有の世界観を持つ作家がいたことを、想起しなければばならない時期にきている。
冒頭に戻れば、『パラサイト』はポン・ジュノ作品の最高傑作とは言えない。にもをかかわらず、カンヌ・グランプリをはじめ、アメリカのアカデミー賞制覇は、多様性を尊重しようという傾向の上に乗っかった一種の奇蹟のような気がするのだが・・・さて、10年後の時を経たのち、世界の様相と映画界はどのように変貌しているのだろうか。
ポン・ジュノ監督作品
坪内祐三の死が気になって
追悼・坪内祐三
1月15日付け『朝日新聞(大阪版)』による坪内祐三氏の訃報に驚いた。享年61歳は若い。60代70代の著作も十分可能だったと思うと残念に思う。坪内氏の著作は、『ストリートワイズ』( 晶文社、1997)以後、『古くさいぞ私は』( 晶文社、2000)などから、『「別れる理由」が気になって』( 講談社、2005)を頂点として、随分お世話になった。
最も大きいのは、小島信夫作品との出会いへの補強だった。加えるとすれば
拙ブログで、坪内祐三氏について何度か言及している。
2018年1月27日、『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない』( 幻戯書房、2017)を取り上げたのが最後だった。
それ以前はというと、2006年10月25日、『本日記』(本の雑誌社,2006)、このとき三冊まとめて出版された『酒日誌』(マガジンハウス,2006)『『近代日本文学』の誕生』(PHP新書,2006)についてである。
2006年8月30日には、『考える人』( 新潮社、2006)を取りあげた。
同じく、2006年6月13日は、『同時代も歴史である 一九七九年問題』( 文春新書、2006)に言及している。
さかのぼり、2005年4月3日に、『「別れる理由」が気になって』を取り上げたことになる。拙ブログ上の評価の分岐点は、この『「別れる理由」が気になって』にあるだろう。過去のブログ記事を読み返して、前妻神蔵美子(『たまもの』と末井昭との三角関係ののち離婚あたりから、坪内氏の生活的な危機を乗り超えて、小島信夫にたどり着くあたりになろうか。
いずれにしても、『ストリートワイズ』から『古本的』( 毎日新聞社、2005)あたりまでが、一番興味深く坪内氏を読んでいたことになる。
もちろん、代表作は『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』(マガジンハウス、2001)になるのかも知れないが、小生にとって小島信夫への接近に意味を見出したことは大きかった。
最近の著作について、追いかけて読むことはなかった。文学理論的だの、文芸批評的だの、理論家だのというより、文学にまつわる雑学的な博覧強記ぶりが、著者の真骨頂だったと思う。その意味では、明治以降の日本近代文学史に関する、坪内氏独自の切り口による大著を60代以降に書き上げて欲しかった。
突然の死。あまりに突然故に、若い写真像の坪内氏の印象が残る。ご冥福を祈りたい。
本を読むことは他者の世界を知ること
本の贈りもの2019
今年2019年の書物の収穫を、とりあえず列挙(順不同)してみよう。
1.四方田犬彦『聖者のレッスン』(河出書房新社,2019)
四方田犬彦著『聖者のレッスン 東京大学映画講義』は、宗教に関わる聖者が、映画の中でいかに描かれたを語る内容である。四方田犬彦は、研究対象範囲が広く、氏の核心的な思想はどこにあるのかが、非常に掴みにくい。しかし、本書は著者の志向性がよくわかる内容になっている。
2.『夢見る帝国図書館』(文藝春秋,2019)
中島京子『夢見る帝国図書館』は、図書館をテーマとする作品は数多く書かれているが、本書は、日本近代図書館の歴史にも言及される、究極の図書館小説になっている。何よりその仕掛けが素晴らしい小説。
3.『彼自身によるロベール・ブレッソン』(法政大学出版局, 2019)
映画作家へのインタビュー集で代表的なものは、『定本映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(晶文社,1990)だろう。映画製作の過程、撮影方法など、あのシーンはどのように撮影されたのか、など興味深々となるような本である。
同じように『彼自身によるロベール・ブレッソン』を購入し、期待したが、内容をみてみると、ブレッソンの<シネマトグラフ>発言以上のものではないことが分かった。ロベール・ブレッソンへのインタビュー集だが、内容は作品同様きわめてストイックな『シネマトグラフの覚書~映画監督のノート』( 筑摩書房,1987)に続く、作品毎に関するブレッソンの意図が引き出される。しかし、その内容は映画に関するシネマトグラフ論そのものであり、作品解読には繋がらない。本書が、ブレッソン映画の解説やどのように撮影したのかを、『ヒッチコック/トリュフォー』と同じように期待すると裏切られる。清々しいほど、俳優排除、モデル論などに終始する。この間、『罪の天使たち』『田舎司祭の日記』『ジャンヌ・ダルク裁判』『ラルジャン』4本をDVDで再見て、ブレッソンの映画への基本的スタンスが了解できたように思う。どの映画もいわゆる映画的な面白さとは無縁の映画だ。宗教性、カソリック、聖性、無垢、棒読みに近い台詞、部分手とりわけ手や足などに画面が集中される。聖なる映画。ここまで徹底されると心地よい。
4.荒川洋治『霧中の読書』(みすず書房,2019)
荒川洋治の読書エッセイ最新刊『霧中の読書』を読む。このところ、必ず購入著者は少なく荒川洋治はその中の一人で、外れはない。短文が多いが、読むことの楽しさに、真剣さがにじんでいる。中でも気になったのは、以下のくだり。
「ある若手の評論家は、文芸。学術各紙に登場。石牟礼道子について書き、岡倉天心について書き、鈴木大拙や原民喜についても書き、河合隼雄、須賀敦子について連載し、漱石についての本、茨木についての放送テキストまで刊行。それらはいずれも本格的な長さのもの。誰についてもたくさん書けるのだ。
ある若手の評論家とは、若松英輔氏のことと推測される。確かに若松氏のHPを見ると、かず多くの著作があり、石牟礼道子、岡倉天心、鈴木大拙、原民喜、河合隼雄、須賀敦子、漱石、茨木のり子等々、あまりにも多岐にわたる。漱石に関する『こころ異聞』は、拙ブログでも取り上げている。
短い文章が多いけれど、荒川洋治のエッセイ本は、必ず買ってしまう。
詩人・新國誠一についてこれまで全く知らなかった。前衛詩人あるいは視覚詩人と言われている。ダダ・シュルレアリスムの影響下に居る詩人と言ってもいいだろう。
「コンクリートポエトリー」とは、言葉の意味を排除し、形式・形態にこだわった詩のことである。新國氏は、国際的には評価されているようだが、現代詩文庫に「新国誠一詩集」が刊行されたのは、2019年8月であり、詩人としての国内的な位置付けがやっとなされた。
言葉を解体し、文字をデザインのように配置する手法。斬新である。
6.バーバラ・ピム著、小野寺健訳『秋の四重奏』(みすず書房,2006)
書棚の奥で見つけた本書を購入から10年以上経過して、読了した。バーバラ・ピム(1913-1980)は、<現代のオースティン>と評価されているようだ。ジェイン・オースティンを未読の者にとって、バーバラ・ピムに言及することは、不遜の誹りを免れまい。『秋の四重奏』の主役は四人、いずれも独身で同じ職場に勤めているが、定年が近い年齢である。平凡などこにでも居そうな人物ばかり。取り立ててこれといった特徴があるというわけではない。職場での昼食、あるいは夏季休暇の取り方、クリスマスの過ごし方などがまず綴られる。やがて、レティとマーシャ、女性二人が退職する。エドウィンとノーマンも近々に退職が控えている様子。
7.秋田麻早子『絵を見る技術』(朝日出版社,2019)
漠然と西洋絵画を見て、例えばベラスケスが好きだだの、ブリューゲルが好きだだの、フェルメールが好きだだのと、気楽に言うことに特別な理論付けなどなかったけれど、科学的・技術的に見る方法を提示されると、なるほどと首肯してみる。しかし、それ以上でも以下でもない。技術的な理屈など後付けであり、体系化するための理論にほかならない。最後に読者の好きな三つ選び、3点の絵画共通した要素をあげ、「私は、・・・などの特徴がある表現が好きです、惹かれます、グッときます、など。とあり、私の3つは、ベラスケス、フラ・アンジェリコ、ボッテチェルリ、ブリューゲル、ラ・トゥール、フェルメールなどの、それぞれ1点が浮かぶが、3点というのは逆に難しい。
8.フローベール著,菅谷憲興訳『ブヴァールとペキシェ』(作品社,2019)
フローベールの未完の問題作、『ブヴァールとペキシュ』の完全なる翻訳が、菅谷憲興によってなされ、作品社から刊行された。集英社で出版された『フローベール ポケットマスターピース 07 』に収録された「ブヴァールとペキシェ(抄)」は、抄訳であり、今回作品社版ではじめて完璧な、解説・訳注が付されたわけだ。菅谷憲興は、東大教養部時代には蓮實重彦の映画講義を受けている。その様子は、『論集 蓮實重彦』(羽鳥書店,2016)で、「批評と贅沢――『「ボヴァリー夫人」論』をめぐって」の冒頭、ヒッチコック『めまい』のワンショットを描きながら、フランス文学を専攻する前の自己に言及している。
9.ツルゲーネフ著,工藤精一郎訳『父と子』(新潮文庫)
ツルゲーネフの代表作と評価されている。遅ればせながら、読了した。
アルカージーが、友人でありニヒリストでもあるバザーロフとともに、父ニコライ・ペトローヴィチのもとへ帰郷するシーンから物語は始まる。『父と子』について、ナボコフは次のように最大の評価を与えている。
『父と子』はツルゲーネフの最良の長編であるのみか、十九世紀の最も輝かしい小説の一つである。ツルゲーネフは自分が意図したことを、すなわち男性の主人公、一人のロシア青年を創造するという仕事をうまくやってのけた。・・・(中略)・・・ザハロフは疑いもなく強い人間であって、―もし三十過ぎまでいきていたら、この小説の枠を超えて偉大な社会思想家、あるいは高名な医者、あるいは積極的な革命家になったかもしれない人物である。だがツルゲーネフの資質と芸術には共通した弱さがあった。つまり自分が考えだした主人公の枠内で、男性の主人公に勝利を掴ませることができないという弱さである。・・・(中略)・・・ツルゲーネフはいわば自らに課した類型から登場人物を救いだして正常な偶然性の世界に置く。(p172-173『ナボコフのロシア文学講義』)
ニヒリストであるバザーロフは、ロシア十九世紀の突出した人物造型がなされている。確かに20世紀以降ではやや奇異な人物にみえる。バザーロフは、アルカージーの伯父パーヴェル・ペトローヴィチと、父の愛人フェニーチカを巡って決斗に至る。パーヴェルの負傷に終わる。アルカージーと、友人バザーロフは、美人の未亡人アンナと妹カーチャの住む家を訪ねるシーンは、『父と子』の中で唯一ロマンティックな読みどころとなっている。バザーロフは、唯一恋らしきものを感じたアンアに介抱されながらも、パンデミックに侵され死亡する。アルカージーは、妹カーチャと結ばれる。父ニコライ・ペトローヴィチは、愛人フェニーチカと再婚にこぎつける。
物語の終わりに蛇足が置かれ、その後の登場人物たちの生活が綴られる。読む者は、ほっと一息つく。しかしながら、これは早すぎたニヒリストの物語であった。
ツルゲーネフを19世紀ロシア文学の中で評価したい。
10.トルストイ著,木村浩訳『復活(上)(下)』(新潮文庫)
トルストイの筆は、かつて妊娠させ、娼婦にまで堕落させたカチューシャの裁判に陪審員として参加したとこからはじまる長編。著名な小説ゆえ梗概は略す。
大著『戦争と平和』が、光文社古典新訳文庫で刊行が始まるようだ。
〇追悼和田誠
和田誠氏の訃報が報じられた。2019年10月7日逝去。享年83歳。拙ブログで、『もう一度倫敦巴里』(ナナロク社,2017)に言及したのが最後となった。和田誠といえば、第一に映画『麻雀放浪記』(1984)だろう。冒頭のマージャンシーンで、ワンショットでマージャンの一回分を上がるまで、捉えた撮影は見事だった。『お楽しみはこれからだ』シリーズで、映画の台詞を絵とともに再現した多才かつ稀有ななイラストレーターだった。山田宏一との共著『ヒッチコックに進路を取れ』(草思社,2009)も思い入れがある。年末に『ユリイカ 2020年1月 和田誠』(青土社,2020)が刊行された。もちろん追悼号。寄稿者は誰もが、和田氏への絶賛メッセージを送っている。
〇加藤典洋の死
2019年5月21日の「朝日新聞」に掲載されていた。享年71歳。まだ若いが、平均健康寿命という考えもあろう。いずれにせよ、文芸評論家を職業とする知識人がまた一人いなくなったことは確かだ。『敗戦後論』(講談社,1997)は、論争を喚起させる本だった。とりわけ村上春樹研究を、『村上春樹イエローページ』の形で読者に読む手法を提示したことは評価される。
〇池内紀の死
2019年8月30日、池内紀氏逝去。ドイツ文学者で翻訳家。多数の著作がある。何よりも、白水社の『カフカ小説全集』6冊が、カフカを読むことの意義を変更させてくれた。文庫本やブロート編集に依拠した新潮社版『カフカ全集』に収録されている日記や書簡も、カフカ作品ではある。しかし、M・ブロートから解放された故に、池内氏が読み解くカフカの小説はこのように構成されると主張する全集は新鮮だった。池内紀の功績は大きい。特に「アメリカ」というタイトルが、カフカ自身は「失踪者」と命名していたことは、一例だが、ブロート編集版からの解放の意義を翻訳で届けた池内紀の名前は消えない。