ツルゲーネフを19世紀ロシア文学の中で正当に評価しよう

父と子

ツルゲーネフ著、工藤精一郎訳『父と子』を時間がかかりながらも、読了した。
ツルゲーネフの代表作と評価されているのも首肯できる。

 

 

 

父と子 (新潮文庫)

父と子 (新潮文庫)

 

 

アルカージーが、友人でありニヒリストでもあるバザーロフとともに、父ニコライ・ペトローヴィチのもとへ帰郷するシーンから物語は始まる。

 

 

 

『父と子』について、ナボコフは次のように最大の評価を与えている。

 

『父と子』はツルゲーネフの最良の長編であるのみか、十九世紀の最も輝かしい小説の一つである。ツルゲーネフは自分が意図したことを、すなわち男性の主人公、一人のロシア青年を創造するという仕事をうまくやってのけた。・・・(中略)・・・ザハロフは疑いもなく強い人間であって、―もし三十過ぎまでいきていたら、この小説の枠を超えて偉大な社会思想家、あるいは高名な医者、あるいは積極的な革命家になったかもしれない人物である。だがツルゲーネフの資質と芸術には共通した弱さがあった。つまり自分が考えだした主人公の枠内で、男性の主人公に勝利を掴ませることができないという弱さである。・・・(中略)・・・ツルゲーネフはいわば自らに課した類型から登場人物を救いだして正常な偶然性の世界に置く。(p172-173『ナボコフロシア文学講義上』)

ニヒリストであるバザーロフは、ロシア十九世紀の突出した人物造型がなされている。確かに20世紀以降ではやや奇異な人物にみえる。
バザーロフは、アルカージーの伯父パーヴェル・ペトローヴィチと、父の愛人フェニーチカを巡って決斗に至る。パーヴェルの負傷に終わる。

 

アルカージーと、友人バザーロフは、美人の未亡人アンナと妹カーチャの住む家を訪ねるシーンは、『父と子』の中で唯一ロマンティックな読みどころとなっている。

バザーロフは、唯一恋らしきものを感じたアンアに介抱されながらも、パンデミックに侵され死亡する。


アルカージーは、妹カーチャと結ばれる。父ニコライ・ペトローヴィチは、愛人フェニーチカと再婚にこぎつける。

物語の終わりに蛇足が置かれ、その後の登場人物たちの生活が綴られる。読む者は、ほっと一息つく。

しかしながら、『父と子』は早すぎたニヒリストの物語であった。

 

 

はつ恋 (新潮文庫)

はつ恋 (新潮文庫)

 

 

 

初恋 (光文社古典新訳文庫)

初恋 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

猟人日記 (角川文庫)

猟人日記 (角川文庫)

 
 
ツルゲーネフ著『ルージン』 (岩波文庫)が、2019年2月に復刊される。余計者の系譜上、重要な小説である。まず最初に読むべきは、『ルージン』である。その後『初恋』や『猟人日記』に進むのがよろしいかと思う。

 

「鈴木家の嘘」は、予想範囲内の出来だ。

 

野尻克己監督『鈴木家の嘘』(2018)を観る。

 

父・岸部一徳、母・原日出子、長男・加瀬亮、長女・木竜麻生の家族。引き籠りの長男が自殺したことで、ひきおこされる家族の混乱を、一種のユーモアを交えてに描かれる。しかしながら、冗長さは否めない。この主題で133分は長い。つまり余計なシーンや、カットできるシーンが多い。90分あれば十分。監督の主観で引き延ばすのはよろしくない。

 

加瀬亮に対する家族の誰もが罪の意識を持つが、それが徐々に明かされて行く。その過程自体は説得的だが、あらかじめ予測できる範囲を超えていない。

 

監督第一作ということでの力みがあったのではないか。長女役の木竜麻生が印象に残った。

 

鈴木家の嘘 Original Soundtrack

鈴木家の嘘 Original Soundtrack

 

 

 

 

木竜麻生写真集 Mai

木竜麻生写真集 Mai

 

 

 

 
 

 

 

P.G. ウッドハウスを読む

年末から、2005~2007年にかけて発売されていた国書刊行会文藝春秋版の文庫版・P.G. ウッドハウスジーブスものを読む。文庫本は、2011年刊行。

 

気楽に読むことの楽しさ、それ以上でも以下でもない。

 

 

ジーヴズの事件簿―才智縦横の巻 (文春文庫)

ジーヴズの事件簿―才智縦横の巻 (文春文庫)

 

 

 

ジーヴズの事件簿―大胆不敵の巻 (文春文庫)

ジーヴズの事件簿―大胆不敵の巻 (文春文庫)

 

 

 

 

2019年、平成最後の正月は

年賀状が届いた。高校時代の友人N君が、肝臓ガンと診断され、余命半年との記載あり。抗がん剤を使用せず、1年経過後、通常の生活をしている。もちろん.、本人の意思である。見事な生き方。己を顧みて・・・言葉がでない。

「ブログ」の引越し

はてなダイヤリーからの引越しブログです。

年末に慌ただしく開設しました。

旧「整腸亭日乗」を「新・整腸亭日乗」に変更します。

従来どおり、映画や読書を中心に覚書を記録しておくことが目的です。

 (「はてなダイアリー」から「はてなブログ」への<インポート>に時間を要した)

2018年の1冊は、

 梯久美子著『原民喜』(岩波新書,2018.07)でした。

原民喜 死と愛と孤独の肖像 (岩波新書)
 

旧「整腸亭日乗」の

 <2018-08-10 原民喜、妻あるいは被爆体験の昇華について >に記事紹介しています。

 

未読了の図書2018


2018年に購入して、一部読みかけの図書、読み終わっていない図書・10点を記録しておきたい。


1.長谷川郁夫『編集者 漱石』(新潮社,2018.06)


2.東京女子大学丸山眞男文庫編『丸山眞男集 別集 第4巻 正統と異端一』(岩波書店,2018.05)


3.西垣通『AI言論ー神の支配と人間の自由』(講談社,2018.04)


4.福尾匠『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ「シネマ」』(フィルムアート社,2018.07)


5.マルクス・ガブリエル著,清水一浩訳『なぜ世界は存在しないのか』(講談社,2018.01)


6.兼本浩祐『なぜ私は一続きの私であるのか ベルクソンドゥルーズ・精神病理』(講談社,2018.10)


7.高山宏巽孝之共著『マニエリスム談義 驚異の大陸をめぐる超英米文学史』(彩流社,2018.04)


8.キャシー・オニール著,久保尚子訳『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』(インターシフト,2018.07)


9.瀧井敬子夏目漱石クラシック音楽』(毎日新聞出版,2018.03)


10.俵万智『牧水の恋』(文藝春秋,2018.08)


中途半端なコメントは控える。リストアップのみとしておきたい。

小生の関心の狭さを反映していると言えば、恥ずかしい限りだが、読了出来ていないことこそ問題だろう。読めないものを買うな、とのお叱りをうけそうだが、これが現状である。読書力の衰退を痛感した2018年であった。

年末・年始は、俵万智の『牧水の恋』とウッドハウス作品数点を読む予定。


◆「はてなダイヤリー」が2019年春に終了とのことで、2019年1月から新しい「ブログ」へ移行します。

19世紀ロシア文学

19世紀ロシア文学とは、ドストエフスキートルストイチェーホフゴーゴリなどの作家の作品群である。革命以前の作家達だ。革命に遭遇し亡命したブーニンは20世紀の作家として当該範疇には属しない。また革命に翻弄されたゴーリキも含まないものとする。

19世紀ロシアの作家たちは、いってみればロシア文学の創世を担った人たちであった。その意では、ロシア文学プーシキンから始まり、ゴーゴリ『外套』に触発されドストエフスキートルストイたち作家群が登場することになる。

その特質は、作家は世界を表現し、読者は距離を置いてその世界を読むことができるという希有な方法を案出したところにある。19世紀ロシア文学を読む者は、他者の苦悩や困惑を距離を置きながらも、自分の世界観に導いてくれるからである。今回は、以下に列挙する本を読んだ。


かもめ (集英社文庫)

かもめ (集英社文庫)



19世紀のロシア文学は、プーシキンレールモントフツルゲーネフのオネーギン=ペチョ−リン=ルーヂンたち余計者の系譜から始まっている。一方、ゴーゴリドストエフスキートルストイは、いわゆるロシア文学の狂気、荘重さ・深淵さ、壮大さなどに引き継がれる。そしてチェーホフの解りやすいようで分かりにくい作風。この問題に方向の解答を示したのが、沼野充義であった。『かもめ』の前に翻訳した『新訳チェーホフ短編集』(集英社,2010)において、チェーホフが描こうとした世界を新たに提示した。沼野充義は、『チェーホフー七分の絶望と三分の希望』(講談社,2016)において、<七分の絶望と三分の希望>、深読みすればチェーホフの内に流れる「絶望と希望」の織り成す、現代に通じる世界を書いていると言う。チェーホフは、ロシア語から英語やフランス語などへの翻訳に疑問を呈していたが、実際、現代に読み継がれているのは、19世紀ロシア文学の終わりに現れたチェーホフである。

19世紀ロシアの作家と社会 (中公文庫)

19世紀ロシアの作家と社会 (中公文庫)

19世紀のロシア文学では、R.ヒングリー『19世紀ロシアの作家と社会』(中公文庫,1984)によれば、

1825年から1904年にいたる80年間のうち、ツルゲーネフの『ルーヂン』(1856)に始まりドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(1879−80)に終わる20余年が、一つの時代の核となってロシア小説のピークを形成している。このわくで囲まれた時期の作品には、トルストイの最も重要な小説(『戦争と平和』1965−9、『アンナ・カレーリナ』1875−7)が含まれ、ドストエフスキーの四大傑作(『罪と罰』1866、『白痴』1868−9、『悪霊』1871−2、『カラマーゾフの兄弟』)が含まてれる。この時期はまた、ゴンチャロフの『オブローモフ』があり、ツルゲーネフの全長編六作(『ルージン』の他に『貴族の巣』1859、『その前夜』1860、『父と子』1862、『煙』1867、『処女地』1877)がある。・・・(中略)・・・この十三篇の作品に挑戦するのは、これらより前の時代の、とりわけ重要な意味をもつ三つの作品で、これを入れれば第一級のロシア小説は総計十六編ということになる。この三編とは、プーシキンの『オネーギン』(1825−31)、レールモントの『現代の英雄』(1839−40)、ゴーゴリの『死せる魂』第一部(1842)のことである。(p24−26『19世紀ロシアの作家と社会』)

と記述され、「チェーホフと戯曲」と題された項目で、次のようにR.ヒングリーは記す。

1888年初頭から死にいたるまでの間に六十篇ほどの物語によって、チェーホフロシア文学でも特別の位置に置かれることになるが、この全作品群の重要さは、『戦争と平和』や『カラマーゾフの兄弟』の重要さより大きいとさえ言えるであろう。短編小説作家としては、ゴーゴリトルストイレスコーフだけがとりあげられるだけで、他のいかなるロシア作家もチェーホフと同時にとりあげて同時に論ずる価値はない。チェーホフはまたロシア最大の劇作家となった。(p34『19世紀ロシアの作家と社会』)

チェーホフの評価は、ロシア文学最大の作家・劇作家に位置づけられ、沼野氏の説と重なる。

チェーホフは、今回、『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』と四大戯曲を再読したが、中央公論社版『チェーホフ全集』を積読しており、改めてチェーホフの作品群に挑戦したい。



■補足

レスコーフの『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、男性中心社会にあって、女性の強い情念や愛のためには殺人も厭わない姿に圧倒される。レスコーフは、今回初めて読んだが、実に刮目すべき作家であることに驚いた。

ベンヤミンが『物語作者』で、レスコーフを論じていることを紹介しておきたい。(『ベンヤミン・コレクション2』ちくま学芸文庫,1996)


ベンヤミン・コレクション〈2〉エッセイの思想 (ちくま学芸文庫)

ベンヤミン・コレクション〈2〉エッセイの思想 (ちくま学芸文庫)